■20世紀を代表する名匠の一人
ディアギレフ主宰のロシア・バレエ団とともに
ストラヴィンスキー「春の祭典」「ペトルーシュカ」、
ラヴェル「ダフニスとクロエ」、ドビュッシー「遊戯」などを初演し、
20世紀音楽史に輝かしい足跡を残すピエール・モントゥー(1875〜1964)。
生粋のパリジャンで、パリ音楽院を卒業後、
ヴァイオリン奏者としてスタートしてオーケストラの内部から音楽を見つめ、
さらに1911年には自らオーケストラを組織するほどの実行力と人気を兼ね備えていました。
知己のあったラヴェル、ドビュッシーを始めとするフランス音楽全般はもちろんのこと、
その長い生涯にわたってコンサート・オペラ両輪における欧米両大陸での
広範な指揮活動を可能にした実に幅広いレパートリーを備えた国際人でもありました。
最晩年の1963年には日本を訪れており、
19世紀生まれの巨匠の姿を日本の音楽ファンの脳裏に刻んでいます。
録音歴も古く、1928年に創設されたパリ交響楽団とのSP録音に始まり、
1941年には米RCAの専属となり音楽監督を務めていたサンフランシスコ交響楽団との膨大な録音を開始。
サンフランシスコ響から退任するころにはLP録音が始まり、
LP時代に転じるとボストン交響楽団との録音が加わります。
1950年代半ば以降、ステレオ時代の訪れとともに当時米RCAと提携関係にあった英デッカで
ロンドン交響楽団やウィーン・フィルとのヨーロッパでの録音が始まり、
1964年に亡くなるまで継続的に録音が残されたのも幸運なことでした。
■86歳でロンドン響の首席に就任
健康に恵まれ、亡くなる直前まで現役を貫いたモントゥーが晩年に世界を驚かせたのは1961年、
86歳という高齢でのロンドン交響楽団首席指揮者就任でした。
しかも契約年数は異例の25年という長さ。モントゥーは1957年6月、
チャイコフスキー「眠りの森の美女」の録音でロンドン響と初共演して意気投合し、
翌1958年6月には演奏会での共演が実現。
その後定期的な録音セッションと演奏会での共演が続いて絆を深め、
首席指揮者の就任へとつながったのでした。首席指揮者就任の最初のシーズンの最後には、
オランダのフィリップスとアメリカのウェストミンスターへの録音セッションが新たに組まれ、
モントゥー最晩年の至高の境地が刻みこまれることになりました。
■ 晩年の至高の境地を捉えたフィリップス録音
1951年に創設されたオランダのフィリップス・レーベルは、
ステレオ時代が始まってLPレコードの需要が加速していく中で、
アーティストやレパートリーを急速に拡大していきます。
モントゥーとの録音契約もその一環で、1962年6月のチャイコフスキー「白鳥の湖」に始まり、
1964年2月のラヴェル・アルバムまで3シーズンの間にLPにして5枚+片面分の演奏が収録されました。
そのうち1枚半はモントゥーが戦前から所縁の深かった
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団との録音で、
残りはすべてロンドン響との録音でした。
今回当シリーズで復刻するブラームスの交響曲第2番ほかは、
フィリップスとの契約での3枚目のアルバムとなったもので、
1962年11月28日から12月1日にかけて4日間のセッションで収録されました。
■ブラームスの前で演奏したモントゥーの思い入れの深さ
モントゥーは17歳からフランスのジェローゾ四重奏団のヴィオラ奏者として活動しており、
同団がウィーンに客演した折、ブラームス自身の前でその弦楽四重奏曲の1曲を演奏したことがありました。
その際ブラームスが述べた「私の音楽を的確に演奏できるのはフランス人のみなさんですね。
ドイツ人は往々にして重々しく演奏しすぎるのです」という称賛の言葉をモントゥーは生涯忘れず、
その時はドイツ語が喋れず作曲者自身と直接話せなかったことを悔やみながらも、
「私は音楽を通じて彼と話すことができる。彼は私の愛であり理想だ」と、
ブラームスの作品を繰り返し演奏し続けました。4曲の交響曲はいずれもモントゥーの愛奏曲でしたが、
特に第1番と第2番は、フランクの交響曲やベルリオーズの幻想交響曲、
ベートーヴェンの第7番、チャイコフスキーの第5番・第6番に次いで演奏回数が多く、
モントゥーのトレードマークでもありました。しかし録音面では、
交響曲第2番が4種類残されているだけで、ほかの交響曲はレコード録音が行われませんでした。
それだけに、モントゥーがロンドン響とこの交響曲を
ロイヤル・フェスティヴァル・ホールで演奏した1週間後にセッションで収録された
このフィリップスへの録音は、モントゥーのディスコグラフィの中でも重要な1枚といえましょう。
■生涯をかけた芸術の記録
ブラームスの交響曲第2番は、自然に沸き上がりよどみなく流れる曲想が特徴ですが、
モントゥーはそれを実に自然に、しかもいぶし銀の音色で歌わせています。
やや遅めの絶妙なテンポ、しなやかなメロディの抑揚、
ブラームスらしく緻密に張り巡らされたモチーフの処理、
そして高雅な表現に支えられたバランスの良さはまさに巨匠の技。
意外なところで差し込まれるちょっとした溜めも絶妙で、
左右に分けて配置された第1・第2ヴァイオリンが音楽のディテールを鮮明に浮かびあがらせ、
音楽の立体感を高めています。また第1楽章提示部のリピートを励行しているのも
19世紀生まれの指揮者としては珍しいことで、
2回目には一層の情感がこもるのも古典の則から外れるとはいえモントゥーが作品にそそぐ愛情ゆえでしょう。
演奏が枯れているわけではなく内燃する情熱も感じられ、
特に終楽章のクライマックスでは、テンポを上げたりオーケストラを絶叫させたりせずとも
実に深いドラマを感じさせてくれます。
カップリングの2曲の序曲も懐が深い名演で、
20世紀を代表する巨匠の生涯をかけた芸術の記録として、長く伝えられるべきものといえるでしょう。
■滋味豊かなサウンドをそのまま密度の濃い響きとして封じ込めた名録音
録音セッションはロンドンのウェンブリー・タウン・ホール(ブレント・タウン・ホールとも)で行われました。
ロンドンの北西の郊外に位置し1940年に開館した建物で、
録音会場としてはステレオ時代の1950年代後半から使われるようになり、
キングスウェイ・ホール、ウォルサムストウ・タウン・ホール、ヘンリー・ウッド・ホールと並ぶ
ロンドン近郊の録音会場として、需要の高かった
ロンドンのオーケストラ録音で数多くのセッションが行われました。
響きは短めですがオーケストラ全体のパースペクティヴを見通しよく捉え、
さらに細部の明晰さも疎かにされないサウンドを確保できるため、
ムラヴィンスキー/レニングラード・フィルによるチャイコフスキー交響曲第4番、
ロヴィツキ/ロンドン響のドヴォルザーク交響曲全集、
ドラティおよびマルケヴィチ/ロンドン響によるチャイコフスキー交響曲全集、
カール・リヒター/ロンドン・フィルによるヘンデル「メサイア」など
名だたるアナログ時代の名盤が制作された会場で、特にフィリップスは1960年代から70年代にかけて
コリン・デイヴィス/ロンドン響のベルリオーズ・チクルスや
マリナー/アカデミー室内管の一連の録音に多用しています。
モントゥー/ロンドン響の4枚分のフィリップス録音もすべてこの会場で収録されており、
モントゥーの創り出す滋味豊かなサウンドが飾り気なくそのまま密度の濃い響きとして詰め込まれています。
左右に分けて配置された第1・第2ヴァイオリンの定位感、
中央に位置する木管群の存在感も実に明快で、
モントゥーが緻密に整えたバランスが見事に再現されています。
CD化されたのは1994年で、そのわずか2年後には日本で企画された
24ビット・デジタル・マスタリング・シリーズの1枚に選ばれて再発され、
今でもコレクターズアイテムとなるほどの人気を獲得。
2018年にはSuper Audio CDハイブリッド化されており、
今回が6年ぶり2度目のDSDリマスター、Super Audio CDハイブリッド化となります。
今回のハイブリッド化に当たっては、これまで同様、使用するマスターの選定から、
最終的なDSDマスタリングの行程に至るまで、妥協を排した作業をおこないました。
特にDSDマスタリングにあたっては、「Esoteric Mastering」を使用。
入念に調整されたESOTERICの最高級機材Master Sound Discrete DACと
Master Sound Discrete Clockを投入。
またMEXCELケーブルを惜しげもなく使用することで、オリジナル・マスターの持つ情報を
伸びやかなサウンドでディスク化することができました。
■「モントゥーの現世への置き土産」「曲に対する思いのたけをすべてぶちまけてしまったような表現」
「ここで聴かれるブラームスはなんと柔らかい表情に終始していることだろう。
例えば第1楽章 第2主題のヴィオラとチェロが歌いだす旋律は、
しなやかなリズム感に裏打ちされてスタカート・レガートの意味をこの上なく恍惚と表現しつくした輪郭を描き、
泰然と分離しながらも、音楽的には精妙に融けあっているのも見事である。
この演奏にブラームス表現の一つの極致を見出せる。」
『レコード芸術』1963年8月号、推薦盤
「モントゥーがLSOの首席指揮者に就任した翌年、
つまりその2年前の録音である。晩年になればなるほど
ブラームスに惹かれていったモントゥーの現世への置き土産であった。
淡々としたリラックスした演奏であるが、ブラームスらしい風格が自然に備わっていて、
さすがに年輪を偲ばせるところがある。ブラームスの『田園』といわれる、
この交響曲の明るさを澄明な心境で歌い上げながら、緩徐楽章のくすんだ憂愁を含む枯れた境地など、
たくまずして率直に流露しているあたり聴き手に静かな感動を呼び覚ます。」
『クラシックレコードブック1000・交響曲編』1980年
「モントゥーはフランス人なのに『ブラームスの音楽が自分の心にいちばんぴったりくる』と常々語っていた。
とくに第2番が得意で、まるで曲に対する思いのたけをすべてぶちまけてしまったような表現である。
モントゥーとしてはテンポが遅く、ルバートも多いが、音楽の形は少しも崩れていない。
まさに老熟の極みといえよう。」
『クラシック名盤大全・交響曲編』1998年
「ことさらに何もしていないように聞こえるが、
その豊かな音楽性とキャリアをバックにした名人芸的な自然体の音楽づくりは、
オケに望ましい表現意欲と集中力を与え、彼らの持つ能力を最大限に発揮させ、
明るく伸びやかで流れの美しい演奏を繰り広げている。憂愁が陰鬱に転化したり、
暑苦しく燃える割には女々しくなりがちなブラームスが、ここでは健全に過ごしている。」
『最新版クラシック名盤大全・交響曲・管弦楽曲編』2015年
「豊かな歌心と深々とした味わいが香り立つ名演だ。ハーモニーの美しさに加え、
両翼に配したヴァイオリンが囁き交わす点も魅力的。
終楽章では弱拍で合いの手的に入るトランペットの朗らかさを始め、
どこまでも自然体でありながら、人生の達人であったモントゥー流儀の大いなる人間賛歌になっているのである。」
『最新版クラシック不滅の名盤1000』2018年
■収録曲
ヨハネス・ブラームス(1833-1897)
交響曲 第2番 ニ長調 作品73
1.第1楽章:Allegro non troppo
2.第2楽章:Adagio non troppo
3.第3楽章:Allegretto grazioso (Quasi andantino) – Presto ma non assai
4.第4楽章:Allegro con spirito
5.大学祝典序曲 作品80
6.悲劇的序曲 作品81
ロンドン交響楽団
指揮:ピエール・モントゥー
[録音]1962年11月28日-12月1日、ロンドン、ウェンブリー・タウン・ホール
[初出]
[1-5]Philips 835 167 AY(1963年)
[6]Philips 442 547-2(1994年
) [日本盤初出]
[1-5]Philips SFL7629(1963年7月)
[6]Philips PHCP24054(1994年3月6日)
[オリジナル・レコーディング]
[レコーデイング・プロデューサー&バランス・エンジニア]ヴィットリオ・ネグリ
[Super Audio CDリマスタリング]
[Super Audio CDリマスター]2023年11月 エソテリック・オーディオルーム、「Esoteric Mastering」システム
[Super Audio CDプロデューサー]大間知基彰(エソテリック株式会社)
[Super Audio CDアソシエイト・プロデューサー]吉田穣(エソテリック株式会社)
[Super Audio CDリマスタリング・エンジニア]東野真哉(エソテリック株式会社)
[解説]浅里公三、柴田龍一
[企画・販売]エソテリック株式会社
[企画・協力] 東京電化株式会社