■レコード録音技術の発展を辿ったブルーノ・ワルター
ブルーノ・ワルター(1876.9.15〜1962.2.17)は
アコースティック時代からステレオ時代まで継続的に録音を続けた、
18世紀生まれの数少ない指揮者の一人でした。
ワルター自身は「1900年にベルリン・フィルと録音したビゼー『カルメン』からの
3つの間奏曲が最初」と明言しているほどで
(現在確認できるワルターの最も古い録音は、1923年にベルリン・フィルを指揮した
独ポリドールへのベートーヴェン「コリオラン」序曲や
メンデルスゾーン「フィンガルの洞窟」序曲など)、
録音技術やレコードというメディアの黎明期から活動を開始し、
1925年からの電気録音(注:マイクロフォンを使った録音)、
1949年からのアナログ・テープによるモノラル録音、
そして1957年からのステレオ録音と、録音技術の発展に呼応するかのように、
それぞれの媒体のために自らのレパートリーを数多く、それも網羅的に記録してきました。
■音楽の世界遺産ともいうべきワルターのマーラー録音
そうしたワルターの膨大なディスコグラフィーの中でも
最も高い歴史的意義を持つのがマーラー作品の録音でしょう。
1894年、ハンブルク歌劇場の首席指揮者だったマーラーが
ヴァイマールで自作の交響曲第1番のドイツ初演を果たした年、
まだ17歳だったワルターは、ハンブルク歌劇場の歌手のコーチおよび音楽アシスタントとして契約し、
作曲家および指揮者としてのマーラーに日常的に接し、
やがて優れた弟子であり最も親しい友人となり、
マーラーが亡くなるまで交友を続けることになります。
1911年のマーラーの没後は、マーラーの作品を積極的に取り上げその音楽の普及に力を尽くし、
特にマーラー自身が初演を果たせなかった「大地の歌」(1911年)と
交響曲第9 番(1912年)の世界初演を担ったことは重要で、
残された手稿譜の整備も含め、
この2曲を世に問うにあたって果たしたワルターの役割は
マーラー作品受容において途方もなく大きなものでした。
録音面でも、ワルターはマーラーの交響曲(『大地の歌』を含む)を全部で6曲録音し、
演奏会のみならずレコードという形で、
世界中の音楽ファンに師の音楽を届ける重要な役割を担ったのでした。
■ワルターが生涯をかけて取り組んだ「大地の歌」
「大地の歌」は1911年11月のミュンヘンでの初演から
1960年4月のニューヨークでのマーラー生誕100年記念フェスティヴァルでの演奏まで、
ワルターが半世紀にわたって取り上げ続けた作品で、
演奏回数も44回と多く、レコード録音も1936年 SP → 1952年 モノラル → 1960年ステレオと
3回も残しているほどです。その中でも格別な重みをもつのが
この1952年にウィーン・フィルと録音したデッカ盤。
この年、ワルターがウィーン芸術週間と国際音楽会議の開幕という重要な演奏会で
2 日間にわたってこの作品を取り上げた際に、
デッカによって3日間のセッションが組まれ、3曲のリュッケルト歌曲とともに収録されました。
作品の細部まで知り尽くした76歳のワルターの指揮は活気とエネルギーに満ち、
楽想の変化にも俊敏に反応し、6つの楽章それぞれの個性を浮き彫りにしています。
ウィーン・フィルもワルターの指揮に雄弁かつ濃密なサウンドで敏感に応え、
特にオーボエやクラリネット、ホルンの魅惑的な音色、艶のある弦楽パートなど、
マーラーのオーケストレーションの魅力をとことん開示しているのです。
■ 名歌手二人の名唱
このアルバムのもう一つのポイントはイギリスの名コントラルト、
キャスリーン・フェリアー(1912.4.22〜1953.10.8)と
ウィーンの名テノール、ユリウス・パツァーク(1898.4.9〜1974.1.26)という
二人の卓越した歌手の歌唱です。
ワルターは、第2次大戦後初めてウィーン・フィルと1947年に共演して
「大地の歌」を取り上げた際にフェリアーと初めて共演し、
その歌唱に魅了され、1948年にはニューヨークで、
また1949年にはザルツブルクでこの作品の演奏に起用しています。
さらに1949年のエジンバラ音楽祭では、
フェリアーのリート・リサイタルで自らピアノ伴奏を買って出るほどでした。
フェリアーの深みのある声はコントラルトが担う偶数楽章にうってつけで、
特に息の長い終楽章の哀切極まりない感情の吐露が心に迫ります。
この録音の約1年後、乳癌で41歳という若さで世を去ったフェリアーの絶唱が刻み込まれています。
テノールのパツァークはフルトヴェングラーが好んで起用するなど
この時代のウィーンを代表する存在で、
タミーノからローエングリンまで幅広いレパートリーを持っていました。
やや鼻にかかったような独特の声質は他にあまり例がない個性的なもので、
「大地の歌」の世界である世紀末の退廃や爛熟のイメージを
これ以上にないほど見事に体現しています。
■
同時に録音された「リュッケルト歌曲集」も併録
また同じセッションで収録された「リュッケルトの詩による5つの歌曲」から
3曲をフェリアーの名唱でカップリング。
もともと「大地の歌」の初出LPは2枚組でその第4面に収められていた3曲で、
「大地の歌」が同時期にコンサートでも演奏されたのに対して、「
リュッケルト歌曲集」の方はレコーディングだけで取り上げられたのでした。
中でも名作とされる大曲「真夜中に」と「私はこの世に忘れられて」は、
フェリアーの極めて細やかな歌唱が作品に込められた人間の孤独感、
神への希求と死への憧れを余すところなく表出しています。
フェリアー、ワルター双方にとっても唯一の録音で、
その意味でも特別な価値を持つ3曲と言えましょう。
■
「FFRR=Full Frequency Range Recording=全帯域録音」最大の成功例
デッカのウィーン・フィルの録音会場といえば
ショルティの「指環」などで有名なゾフィエンザールですが、
ゾフィエンザールに本格的に移行するのはステレオ時代になってからのことで、
モノラル時代は主に、演奏会の本拠地だったムジークフェラインザールを会場としていました。
響きが豊かで、客を入れない状態では残響を制御することが難しいともいわれる
ムジークフェラインザールですが、デッカは1950年6月のクリップス指揮の「後宮からの誘拐」から
このホールでセッションを重ねており、音響の対処法はマスターしていたようで、
2年後のこのワルターの録音でもオーケストラ各声部の明晰さ、
バランスの良さ、そしてやや大き目の音像で配置された歌唱が
今日でも極めて高い鮮度を保持していることには驚かされます。
特にウィーン・フィルの個性的な木管群の音色の多様さ
(映画で使われた「総天然色」という言葉が当てはまるかもしれません)、
高弦の切れ味のよさ、低弦の迫力、トライアングルやシンバル、
ドラなどマーラーが用いた打楽器が極めて克明に捉えられています。
「大地の歌」終楽章コーダで明滅するチェレスタ、ハープ、マンドリンも
それぞれの楽器の響きがくっきりと刻印されています。
この響きの鮮度の高さは、「FFRR(=Full Frequency Range Recording=全帯域録音)」と
耳のイラストを組み合わせたロゴで有名なモノラル時代のデッカの特徴ですが、
その成功例の一つがこの「大地の歌」といえましょう。名演・名録音ゆえに
CD初期の1984年からCD化され、リマスターも24bit/96kHz(Decca Legends 2000年)、
Super Audio CDハイブリッド(2019年)と重ねてきています。
今回のSuperAudio CDハイブリッド化に当たっては、これまで同様、
使用するマスターの選定から、最終的なDSDマスタリングの行程に至るまで、
妥協を排した作業をおこないました。
特にDSDマスタリングにあたっては、独自の「EsotericMastering」を使用。
入念に調整されたESOTERICの最高級機材Master Sound Discrete DACと
Master Sound Discrete Clockを投入。
またMEXCELケーブルを惜しげもなく使用することで、
オリジナル・マスターの持つ情報を伸びやかなサウンドでディスク化することができました。
■
『もうすべてがマーラーそのもの』『マーラーの音楽の本質を奥深いところから見事に引き出した名演』
「ワルターによるマーラー演奏は、彼がこの作曲家の親愛な弟子であったことからもすべて重要だが、
『大地の歌』は自身が初演者であった楽曲であり、
彼の演奏は言うならばこの曲の解釈の原点とされるものである。[……]
その中で最上の演奏との定評があるのは、フェリアーの名唱によっても名高い
この第2 回目の録音。マーラーの音楽の耽美性を、
ワルター自身がその作曲者であるかのように全身全霊をもって語り尽くしている。」
『レコード芸術別冊・クラシック・レコードブック VOL.1 交響曲』1985年
「ワルターが戦前にウィーンから逃れて11年。
1947年に初めてヨーロッパへ戻ってウィーン・フィルと演奏したのが
この「大地の歌」だった。そして歌っているフェリアーは、間もなくガンで死去している。
歴史的に貴重ということもあるが、これはフェリアーとワルターの惜別の歌であると同時に、
これほど哀切極まりない『大地の歌』は他にない。
最後の“告別”など凄い。テノールのユリウス・パツァークも一世一代の名歌唱とさえ言ってもいい。」
『クラシックCDカタログ ’89』1989年
「ワルターはこの曲を何度かレコーディングしているが、やはりこの52年のスタジオ録音がベストだ。
第1・第2・第3・第5楽章はこれ以上を望めない。
表情のメリハリは鮮烈を極めているのに造型はキリリと締まって一部の隙もなく、
アンサンブルは緻密を極め、それでいてオケの自発性は最高、
一つ一つの楽器の土臭いまでの音色は現在のウィーン・フィルからは求められないもので、
実に魅惑的である。もうすべてがマーラーそのものなのだ。
パツァークとフェリアーのソロもすばらしく、
特にパツァークのニヒルな絶唱は今後絶対に凌駕されることはないと思う。
人間的な弱さをさらけ出した虚無感は、これぞ『大地の歌』の神髄と言えよう。」
『クラシック不滅の名盤800』1997年
「マーラーの音楽の本質を奥深いところから見事に引き出した名演となっている。
ウィーン・フィルも、その持てる機能を最大限に発揮しているが、
そこでは、独唱者にフェリアーとパツァークという
二人の素晴らしい歌手を得られたことが重要な部分を占めていることは言うまでもない。
とくにフェリアーの魅力は超えがたいものがあるが、
もちろん主役のワルターの円熟と心技一体になった音楽表現が絶品なのである。
その極限の世界は、録音の条件を克服して妖しい光を放っているようである。」
『名盤大全・交響曲編』1998年
「作曲者の没後、1911年11月に『大地の歌』の世界初演を行なったのがワルターだった。
作曲者の門弟といってよいワルターはまさにマーラー演奏の第一人者だが、
初演から40年以上を経た52年ウィーンでの歴史的録音もまた素晴らしい。
ワルター76歳の時の指揮となるが、指揮は驚くほど力強く、確信を背景とした説得力がある。
その一方では、優しい眼差しと人間的な共感の心で
作品の一部始終を慈しむかのように再現しようとした切実な美しさがある。
ウィーン生まれのパツァークの気品と知性、
そしてこの録音の翌年には41歳で亡くなるフェリアーの高貴な美声も傑出、
深く、清らかな感動へと聴き手を誘う。」
『クラシック不滅の名盤1000』2007年
「英デッカの最優秀録音で、とてもモノラルとは思えない。
とくにパツァークの歌う第1・3・5楽章は音質も含めると、
今後もこれを凌ぐディスクは出ないだろう。パツァークのニヒリズムは第3楽章を唯一無二のものにしているが、
第1・5楽章も彼の歌唱に慣れると、美声と声量を誇示するようなほかのテノールが
実に外面的に聴こえてしまう。
ワルターの指揮もウィーン・フィルの美感とともに緻密なニュアンスにあふれて絶美だ。」
『クラシック名盤大全・交響曲・管弦楽曲[上]』2015年
「ワルターの代表的な名演。曲は死の恐れとどう対決するかを巡って展開する中、
その不安は西欧に生きる東洋系ユダヤ人のデラシネに重ね合わされ、
そのなかで懸命に自分の居場所を見出そうとする焦りが支配。
パツァークにその焦燥感が乗り移り、
一方フェリアーは大地母神のような根源的な生命力で死と堂々と向き合い、
死は生と対立するのではなくその完成であるとメッセージする説得力に類はない。」
『クラシック最新不滅の名盤1000』2018年
■収録曲
グスタフ・マーラー(1860-1911)
交響曲《大地の歌》
1. 第1楽章:大地の悲しみによせる酒の歌
2.第2楽章:秋に寂しきもの
3.第3楽章:青春について
4.第4楽章:美について
5.第5楽章:春に酔えるもの
6.第6楽章:告別
《リュッケルトの詩による5つの歌曲》から
7.私はこの世に忘れられて
8.私は仄かな香りを吸い込んだ
9.真夜中に
キャスリーン・フェリアー(アルト)
ユリウス・パツァーク(テノール)− 大地の歌
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
指揮:ブルーノ・ワルター
[録音]1952年5月14日〜16日、ウィーン、ムジークフェラインザール
[初出]Decca LXT 2721/2(1952年)
[日本盤初出]ロンドン・レコード LLA10106〜7(1956年1月)
[オリジナル・レコーディング]
[レコーディング・プロデューサー]ヴィクター・オロフ
[バランス・エンジニア]シリル・ウィンデバンク
[Super Audio CDリマスタリング]
[Super Audio CDリマスター]2022年12月 エソテリック・オーディオルーム、「Esoteric Mastering」システム
[Super Audio CDプロデューサー]大間知基彰(エソテリック株式会社)
[Super Audio CDリマスタリング・エンジニア]東野真哉(エソテリック株式会社)
[テクニカル・マネージャー]加藤徹也(エソテリック株式会社)
[解説] 浅里公三、山崎浩太郎
[企画・販売]エソテリック株式会社
[企画・協力] 東京電化株式会社