■ドイツのバッハ伝統を20 世紀に継承したカール・リヒター
リヒターは現在のドイツ・ザクセン州プラウエンに牧師の子として生まれ、
11 歳のときドレスデン 聖十字架教会付属学校に入り、
有名なドレスデ ン十字架聖歌隊で少年時代を過ごしました。
ライ プツィヒ音楽学校では聖トーマス教会のカントルであった
カール・シュトラウベ、ルドルフ・マウエ ルスベルガー、ギュンター・ラミンに師事。
1949 年には聖トーマス教会のオルガニストに就任、という経歴は、
まさに脈々伝承されてきたドイツのバッハ演奏の伝統の本流を体得した音楽家であることを証明しています。
リヒターの演奏活動が飛躍するきっかけとなったのは、
1951 年にミュンヘンの聖マルコ教会のオルガニストのポストを得たことで
当時は西ドイツだったミュンヘンに移住したことでしょう。
ニュルンベルク近郊のアンス バッハで開催されていたバッハ週間で指揮した
ハインリヒ・シュッツ合唱団を母体にして「ミュンヘ ン・バッハ合唱団」を組織し、
さらに1955 年にはバイエルン国立歌劇場管、バイエルン放送響、ミュンヘン・フィルなどのメンバーを
ピックアップして「ミュンヘン・バッハ管弦楽団」を設立し、
バッハの合唱音楽の理想的な演奏を追求することになります。
■ドイツ発信のバッハ演奏解釈の確立へ
1954 年リヒターは、シュッツの 「ムジカーリッシュ・エクセークヴィエン」を
ドイツ・グラモフォンが設立した音楽史専門のレーベル、「アルヒーフ」に録音し、レコード・デビューを果たします。
アルヒーフ(文字通り、「保存記録」「保管庫」などを意味する)は
第2次大戦後の1947 年にバッハ作品の全曲録音を目標とするとしてスタートし、
その後グレゴリオ聖歌からウィーン古典派まで
その領域を拡げ「世界初」 の古楽レーベルとして古楽振興に尽くすことになりました。
リヒターが何よりも幸運だったのは、この新興レーベルのアルヒーフが
カタログ拡充のための新録音を必要としていたこと、その時期がちょうどLP レコード、
そしてステレオ録音の普及、バロック音楽ブームの興隆と軌を一にしていたことでしょう。
演奏解釈の思潮面でも、ナチスの災禍を経たことで第2次大戦前の価値観を捨て去り、
新たな様式の確立が求められるという、いわば時代のニーズがありました。
リヒターはその期待に応えるように、バッ ハ作品の演奏解釈の研究と実践に没頭しました。
リヒターは19 世紀末以来の恣意的なテンポの揺れ や過度の感情移入を排し、
安定した正確なリズムを保持し、記譜通りの音価を明晰に再現・発音することで、
混濁しないクリアな声部バランスを指向し、作品のあるべき姿を追求しその本質を抉り出す姿勢を貫くことで、
20 世紀後半のバッハ演奏様式をドイツから発信し、
それが演奏旅行やレコード録音を通じて世界中に普及、その価値観が共有されるようになったのです。
■リヒターのバッハ解釈のエッセンスがここに
こうしたリヒターの厳格な姿勢が最初に結実したのが1958 年録音の「マタイ受難曲」でした。
リヒター の解釈はイエスの受難を通じて人間の弱さと神の慈愛を歌い上げる
この大作の20世紀後半の全ての演奏の規範となりました。
その後1960〜70 年代を通じてバッハの声楽曲、管弦楽曲、室内楽曲、
器楽曲(チェンバロ、オルガン)を網羅するかのように録音が継続され、
バッハ演奏家としてのリヒターの令名を世界的なものにしました。
アルヒーフというレーベルの性格もあって、楽譜の選択、演奏様式、
演奏人数の設定など学術的な面でもより新しい情報を採り入れていた点と、
ジャンルごとに全曲録音を目指したという点で、録音物としての価値を大きく高めたのでした。
そうしたリヒターのバッハ解釈の充実は1960 年録音の管弦楽組曲全曲、
リヒター自身がソロを務めた1972 年録音の「チェンバロ協奏曲全集」、
そして名手オーレル・ニコレ(1926‐2016)との「フルート・ソナタ全集」にも結実しています
(ニコ レは管弦楽組曲第2 番のソロも担当)。
当アルバムはそうした名演のエッセンスを凝縮するべく
それぞれから代表的な作品を1 枚にカップリングしています。
■最高の状態でのSuper Audio CDハイブリッド化
管弦楽組曲はヘルクレスザール(1,270 席)、
フルート・ソナタは科学アカデミー内のプレーナーザー ル(会議場)、
そしてチェンバロ協奏曲は映画の撮影なども行われるバヴァリア・スタジオと、
録音はミュ ンヘンの3 つの会場が使われています。
ミュンヘン大学の講堂と並び、アルヒーフやドイツ・グラモフォンの録音では多用された録音場所だけに、
会場が異なっても、またエンジニアが異なっても音のイ メージが見事に統一されています。
オーケストラとしての録音では、近めの距離感で左右上下いっぱ いに広がる中規模のオーケストラの
ずっしりとした低音の上に築き上げられる厚みのある響きをメインにして、
その前面に各曲のソロを明確にクローズアップしています。
この大きな響きの中で、オーケスト ラの各パートは極めて明晰に捉えられ、
ソロとしてあるいはコンティヌオとしてリヒターが爪弾く
モダン・ チェンバロの鋭い響きも埋もれることなくピックアップされています。
リヒターの厳格なまでの音楽の統御が実際の音としてもはっきりと実感できるのが何よりの魅力と言えるでしょう。
フルート・ソナタでは2 つの楽器の音像が明晰に浮かび上がっています。
アナログ最盛期の録音で、初めてCD 化されたの は1989 年で、
管弦楽組曲については2001年と2006年にSuper Audio CD シングルレイヤーでも発売されています。
今回のSuper Audio CD ハイブリッド化に当たっては、これまで同様、
使用するマスターテープの選定から、最終的なDSDマスタリングの行程に至るまで、
妥協を排した作業が行われています。
特にDSD マスタリングにあたっては、D/A コンバーターとルビジウムクロックジェネレーターとに、
入念に調整されたESOTERIC の最高級機材を投入、
またMEXCELケーブルを惜しげもなく使用することで、
オリジナル・マス ターの持つ情報を余すところなくディス ク化することができました。
■『バッハの真正な時代様式を確立」「レコード史上に特筆すべき偉業』
「構成のがっちりしている点はいかにもドイツの指揮者らしく、学者的なかたさがところどころに顔を出すが、
それも決して冷静なものではなく、バッハ時代の古典的な気分を醸成しながらも、
若さと新鮮さ をちらりとのぞかせたりする。
正当なバッハの解釈を身に付けながらも、常に若い世代を意識している といったような見事な演奏である。」
(推薦盤、『レコード芸術』1962 年9 月号)
「バッハの真正な時代様式を確立したリヒターの演奏は、現時点の視野からも少しも色あせずに、
説得力の強い革新的主張を感じさせる。リヒター以後のそれぞれに興味深い演奏も、
結局はリヒターの方 式のヴァリエーションに過ぎない。時代を画した名演奏。独奏者の個人技は秀逸。」
(『クラシック・レコード・ブック1000 VOL.3 協奏曲編』、1986 年)
「カール・リヒターとミュンヘン・バッハ管弦楽団によるアルヒーフへの一連のバッハ作品の録音は
レコード史上に特筆すべき偉業の一つであったと思う。
オリジナル楽器による演奏が定着する以前の時 代の最高峰を極めた演奏であったことは言うまでもないが、
作品と作曲者への深い敬愛の念に裏打ち された真摯で峻厳なその演奏は、
今日でも強い説得力をもって聴き手に訴えかけてくる。
娯楽性や愉 悦性とは無縁な生真面目そのものの解釈だが、
バッハの音楽の数学的・論理的ともいうべき緻密なテクスチュアの綾が完璧な音楽美のうちにくまなく再現される。
バッハの高邁な音楽精神を誰にも納得させるに足る、志の高い演奏である。」
(『クラシック不滅の名盤800』、1997 年)
「理論に裏打ちされたアーティキュレーションを、丁寧に描くリヒターの音楽は、響きが軽やかで強弱の メリハリも程よく、
何より見自然な演奏である。そしてフルート界において、バッハのみならず現代音楽をも拡張高く演奏することで
追随を許さないオーレル・ニコレの、第2番における音楽性豊かなソロなど、様式を踏まえた好演が光っている。」
(『ONTOMO MOOK クラシック名盤大全 管弦楽曲編』、1998 年)
「ここに聴かれる演奏も発想がロマンティックで、独特の思い入れと切れ込みの鋭い力感があり、
その説得力は極めて大きい。古楽系の演奏とは無縁の、伝統的なドイツのバッハだが、
強弱や緩急のコン トラストがはっきりしているなど、方法論としては共通している点も多い。
「両極端は一致する」の原則 に、そっくりそのまま当てはまるケースといえる。
メンバーにもスタープレイヤーを配し、現在でも最もスタンダードな名盤であろう。」
(『クラシック不滅の名盤1000』、2007 年)
■収録曲
J・S・バッハ
Suite (Ouvertüre) Nr. 2 h-moll BWV 1067(管弦楽組曲 第2 番 ロ短調 BWV1067)
[1] 第1 曲 Ouvertüre
[2] 第2 曲 Rondeau
[3] 第3 曲 Sarabande
[4] 第4 曲 Bourrée I-II
[5] 第5 曲 Polonaise
[6] 第6 曲 Menuet
[7] 第7 曲 Badinerie
Suite (Ouvertüre) Nr. 3 D-dur BWV 1068(管弦楽組曲 第3 番 ニ長調 BWV1068)
[8] 第1 曲 Ouvertüre
[9] 第2 曲 Air
[10] 第3 曲 Gavotte I-II
[11] 第4 曲 Bourrée
[12] 第5 曲 Gigue
Sonate für Flöte und obligates Cembalo h-moll BWV 1030(フルート・ソナタ第1 番 BWV1030)
[13] 第1 楽章 Andante
[14] 第2 楽章 Largo e dolce
[15] 第3 楽章 Presto - Allegro
Konzert für Cembalo und Orchester Nr. 5 f-moll BWV 1056(チェンバロ協奏曲第5 番 BWV1056)
[16] 第1 楽章 (Allegro)
[17] 第2 楽章 Largo
[18] 第3 楽章 Presto
オーレル・ニコレ(フルート)〔BWV1067, 1030〕
カール・リヒター(チェンバロ)〔BWV1030, 1056〕
ミュンヘン・バッハ管弦楽団〔BWV1067, 1068, 1056〕
指揮:カール・リヒター〔BWV1067, 1068, 1056〕
[録音]
1960 年6 月14 日〜19 日、ミュンヘン、ヘルクレスザール〔BWV1067, 1068〕、
1973 年4 月、ミュ ンヘン、科学アカデミー、プレーナーザール〔BWV1030〕、
1972 年7 月11 日〜13 日、ミュンヘン、バヴァリ ア音楽スタジオ〔BWV1056〕
[初出]198 272 SAPM(1960 年)〔BWV1067, 1068〕、2533 368(1973 年)〔BWV1030〕、2722 009 (1973 年)〔BWV1056〕
[日本盤初出]SLAM23 (1962 年2 月)〔BWV1067, 1068〕、2533 368(輸入盤/1973 年)〔BWV1030〕、
2722 009(輸入盤/1974 年1 月)〔BWV1056〕
[オリジナル・レコーディング]
[エクゼクティヴ・プロデューサー]カール・ファウスト[BWV 1067, 1068]、Dr.ゲルト・プレーブシュ[BWV 1030, 1056]
[プロデューサー]カール=ハインツ・シュナイダー[BWV 1067, 1068]、Dr.ゲルト・プレーブシュ[BWV 1030, BWV 1056]
[バランス・エンジニア]ヴァルター・アルフレート・ヴェットラー[BWV 1067, 1068]
クラウス・シャイベ[BWV 1030]、ギュンター・ヘルマンス[BWV 1056]
[レコーディング・エンジニア]クラウス・シャイベ[BWV 1056]
[Super Audio CD プロデューサー]大間知基彰(エソテリック株式会社)
[Super Audio CD リマスタリング・エンジニア]東野真哉(JVC マスタリングセンター(代官山スタジオ))
[Super Audio CD オーサリング]藤田厚夫(有限会社エフ)
[解説]諸石幸生 寺西基之
[企画・販売] エソテリック株式会社
[企画・協力] 東京電化株式会社