■新しいメディアに取り組み続けたカラヤン
ヘルベルト・フォン・カラヤン(1908〜1989)は、
レコード録音に対して終生変わらぬ情熱を持って取り組んだパイオニア的存在であり、
残された録音もSP時代からデジタル録音まで、膨大な量にのぼります。
常に最新鋭の技術革新に敏感だったカラヤンは、
録音技術が進むたびに新たな録音方式で自分のレパートリーを録音し直したことでも知られ、
特に1970年代後半からのデジタル録音技術、
そしてその延長線上でフィリップスとソニーが開発したコンパクトディスクは、
1981年4月、ザルツブルクで記者発表を行って
この新しいメディアのプロモーションを買って出たほど積極的に支持し、
その姿勢はCDというデジタル・メディアがLPに変わって普及していく上で大きな追い風となりました。
この時期以降カラヤンが亡くなるまでに制作されたオペラの全曲盤は9組ですが、
そのうち7曲はザルツブルク音楽祭や復活祭音楽祭での実際のオペラ上演を想定して、
そのリハーサルも兼ねて録音されたもの。
残りの2曲のうち、1970年代中盤にザルツブルク音楽祭で上演されていた《魔笛》を除くと、
実際の上演を全く考慮せず、純粋にレコードのための録音されたのは《トゥーランドット》1曲のみ。
しかもこのオペラは、アーヘン歌劇場音楽監督以来脈々と続いてきた
カラヤンによるオペラ上演記録にはなかったもの、
つまり、一度も実際の公演で取り上げることなく終わったオペラでもあります。
その意味でカラヤンによるオペラ全曲盤ディスコグラフィの中でも
異色の存在といえる特別な作品ということになるのです。
■最強のプッチーニ指揮者カラヤン
歌もオーケストレーションも能う限りの音色と和声のパレットを使いつくし、
究極の美を追求し続けたプッチーニのオペラとカラヤンの音楽づくりとの親和性は非常に強く、
《トスカ》、《蝶々夫人》、《ボエーム》の3曲については、
複数の録音や映像作品を残しているほどのこだわりを見せていました。
しかし、それまでに世に出た全てのイタリア・オペラの総決算ともいうべき、
さまざま要素を包含しながらも、生前のプッチーニが自ら完成させることができなかった
《トゥーランドット》はカラヤンのレパートリーに加えられることはなく、
ようやく1981年になって、レコード録音という形で実現を見たのでした。
特に戦後はミラノ・スカラ座やウィーン国立歌劇場、
あるいはザルツブルク音楽祭などでオペラ上演に際してはどんな歌手でも
自由に使えるほどの地位にあったカラヤンがこの作品に手を出そうとしなかった理由は
今となってはわかりませんが、満を持して実現させたこの1981年の録音プロジェクトで、
あらゆる面にわたって自らの理想を盛り込もうとしたのも当然のこと。
晩年のカラヤンのオペラ全曲盤の全てがそうですが、
指揮者であるカラヤンが全ての主導権を握って演奏解釈の中心に存在し、
プッチーニが《蝶々夫人》に続いてアジアのエキゾシチズムを
ふんだんに振りまくべく緻密な工夫を凝らした音楽の魅力を、
遅めのテンポとウィーン・フィルの濃密な響き
(現在のところ同フィル唯一のセッション録音)でじっくりと再現、
その華麗な音楽のバックドロップの中で美声揃いの歌手陣を美しく歌わせています。
■充実を極めつつも、リリシズムを重視した意外な配役
歌手の中では、高音連続の難役であるだけに、
ブリュンヒルデやサロメ、エレクトラを担えるほどの強靭な声を持つ
ドラマティック・ソプラノが手掛けることが多い題名役に、
通常ならリューが持ち役のリリックなカーティア・リッチャレッリを起用していることが、
カラヤンのこのオペラへの視点を端的に示しているといえましょう。
冷酷で非情な性格が強調されるあまり、
オペラの後半でそれまで知らなかった愛に目覚めていく
人間的な変容が唐突に感じされることが多かった従来のイメージを覆し、
より人間的でリリシズムに満ちたトゥーランドット像が具現化されています。
リュー役はさらに繊細なバーバラ・ヘンドリックスが受け持ち、
少女を思わせる可憐さが第3幕の尋問と自刃の場面で涙を誘います。
カラヤンとの共演は意外に少なくその意味でも貴重な録音といえる
プラシド・ドミンゴのカラフは絶好調で、
意気盛んに難事に挑戦する情熱溢れる若い王子を演じきっています。
脇を固める歌手陣も贅を凝らした布陣で、
皇帝アルトゥムは名脇役としてイタリア・オペラには欠かせない存在だった
テノール、ピエロ・デ・パルマ(カラヤンとは1960年代から共演)が担っているほか、
前年の《魔笛》録音でタミーノに抜擢されていたフランシスコ・アライザが
このオペラのコミカルな側面を担う
ピン・ポン・パンのうちのポン役として起用されているのも目を引きます。
■最高の状態でのSuper Audio CDハイブリッド化
録音はウィーン・フィルの本拠地、ムジークフェラインザールで行われました。
セッション写真を見ると、オーケストラは舞台上に置かれ、
独唱者と合唱は指揮者の背後、平土間の椅子を取り払った場所に配置されていることが分かります。
これはオーケストラとのコンタクトを密にしつつも、
個々の独唱者のパートを明晰に収録するために
オペラのセッション録音ではよく採られていたセッティングです。
この時期のカラヤンのオペラ録音の通例で、
引き締まったオーケストラのサウンドが左右に大きく広がり、
そのサウンドに包み込まれるように定位する独唱者のディクションが明晰に、
しかし大きすぎないバランスで収録されています。
全曲にわたって時にコロスのような印象的な役割を果たす合唱も絶妙な雰囲気でミキシングされており、
第1幕や第3幕第1場で遠方から聴こえてくる設定の際には
たっぷりとした響きで遠近感が出されています。
それ以外の点では、デッカのオペラ録音(特に1960年代のソニックステージ)で典型的だった、
舞台上の登場人物の動きを音の動きや遠近感で緻密に描写することよりも、
純粋に音楽の響きの魅力を余すところなくステレオの音場の中で再現することに焦点が置かれています。
デジタル録音の初期で、LP発売がCDに先行していた最後の時期の録音であるため、
本格的なリマスタリングが行われるのは今回が初めてです。
今回の Super Audio CDハイブリッド化に当たっては、これまで同様、
使用するマスターテープの選定から、最終的なDSDマスタリングの行程に至るまで、
妥協を排した作業が行われています。特にDSDマスタリングにあたっては、
D/Aコンバーターとルビジウムクロックジェネレーターとに、
入念に調整されたESOTERICの最高級機材を投入、
またMEXCELケーブルを惜しげもなく使用することで、
オリジナル・マスターの持つ情報を余すところなくディスク化することができました。
■「実演では不可能な理想のサウンドを追求した演奏」
「プッチーニの音楽に対するカラヤンの特別な『巧さ』こそ、
《トゥーランドット》というオペラが長らく待ち望んでいたものだ。
それは具体的に言えば、第一にまずこのオペラが持つグランド・オペラ的な壮麗さであり、
第二には、悲劇的な緊張と、抒情的なやさしさと、喜劇的な可笑しさという、
それぞれ異なった劇的性格を鮮やかに描き分けながら、
それを混然と融合し統一する能力であり、第三には、《トゥーランドット》がもつ多彩な音色美と効果であろう。」
日本初出時のライナーノーツより 1982年
「本来だとリューを歌うべきリッチャレッリをトゥーランドットに起用したところに、
このオペラをとらえるカラヤンの視点があり、抒情家カラヤンの面目躍如たるキャスティングというべきであろう。
ヘンドリックスが、その細い声の美しさを活かして、リューの可憐さを明らかにしている。
とりわけ第1幕のアリアは、ウィーン・フィルハーモニーを指揮しての精妙な支えもあって、
絶唱である。これを聴くと、グランド・オペラを作曲してもなお、
プッチーニの本質は抒情にあったことを思い出す。」
『レコード芸術別冊・クラシック・レコード・ブック VOL. 5 オペラ&声楽曲編』1985年
「この録音まで、カラヤンがこのオペラを実際に劇場で指揮していたという記録はない。
しかしここには満を持して発酵させたコクのある音楽がある。テンポは驚くほど遅い。
カラヤンはそのテンポの中に、プッチーニの精妙な音楽、
微細極まりない音色の効果を極めて入念に描き出している。
トゥーランドットにあえてリリックな声のリッチャレッリを配しているのも異色。
それにドミンゴのカラフが素晴らしい。」
『クラシックCDカタログ 89前期』1989年
「オペラというより最高品質のオラトリオでも聴いているような
完成度の高さが驚きのカラヤン・マジック全開の名盤。
とにかくオーケストラの輝きわたる鳴りっぷりが素晴らしく、
ミュージカルっぽい珍奇なスペクタクル・オペラだと思っていた《トゥーランドット》が
これほど精妙で壮麗なスコアによって書かれているとは!
歌手も全てオーケストラのアンサンブルの中に溶け込んで、
光り輝くサウンドのシャワーというか、めくるめくような色彩が体験できる。
ブルックナーもマーラーも真っ青の壮大な音響の虹が宇宙を鳴らす。」
『ONTOMO MOOK クラシック不滅の名盤800』1997年
「プッチーニの最後の作品である《トゥーランドット》は
これまでのオペラの様々な要素をすべて集約したような傑作である。
カラヤンにとっては初録音であるが、
経験を積んだオペラ指揮者としてぜひともこの作品を手掛けたかったのであろう。
タイトルロールにリッチャレッリを起用していることかわもわかるように、
過度の声高なオペラにするのではなく、
あくまで繊細で抒情的な美しさを中心軸においた流麗なオペラとして仕上げられている。
またオケがベルリン・フィルではなくウィーン・フィルであることもポイントで、
カラヤンはここで幻想的な音色の美しさを醸し出すことに成功し、
東洋を暗示させる旋律や色彩が随所でその効果を発揮している。」
『ONTOMO MOOK クラシック名盤大全 オペラ・声楽曲編』1998年
「カラヤンは《トゥーランドット》を歌劇場であれ、演奏会であれ、実演の場では、
生涯ついに指揮することがなかった。レコード用に、実演では不可能な理想のサウンドを追求した演奏と言える。
本来はリュー役に向いているはずのリッチャレッリに、
強靭な声を必要とする難役トゥーランドットを歌わせ、さらにリリックなヘンドリックスがリューを担当。
歌手が支配するのではなく、声楽も全体の一つのパートとして、
精妙なオーケストラの響きと組み合わされる、カラヤン美学の具現化。」
『ONTOMO MOOK 最新版 クラシック不滅の名盤1000』2018年
■収録曲
ジャコモ・プッチーニ(1858〜1924)
歌劇「トゥーランドット」(全曲)
3幕のリリック・ドラマ
台本:ジュゼッペ・アダミ、レナード・シモーニ
最後の二重唱とフィナーレの補完:フランコ・アルファーノ
配役
トゥーランドット(中国の王女) カーティア・リッチャレッリ(ソプラノ)
皇帝アルトゥム(トゥーランドットの父) ピエロ・デ・パルマ(テノール)
ティムール(退位したダッタンの王) ルッジェロ・ライモンディ(バス)
名を秘めた王子(カラフ)(ティムールの息子) プラシド・ドミンゴ(テノール)
リュー(若い女奴隷) バーバラ・ヘンドリックス(テノール)
ピン(宰相) ゴットフリート・ホーニク(バリトン)
パン(大膳職) ハインツ・ツェドニク(テノール)
ポン(料理頭) フランシスコ・アライサ(テノール)
役人 ジークムント・ニムスゲルン(バス)
ウィーン国立歌劇場合唱団(合唱指揮:ロベルト・ベナーリオ)
ウィーン少年合唱団
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ヘルベルト・フォン・カラヤン(指揮)
トラックリスト
DISC 1
− 第1幕 −
1.「北京の人民よ」(役人、群衆)
2.「さがれ、犬めら!」(衛士たち、群衆、リュー)
3. 「父上だ!わたしの父上だ!」(カラフ、衛士たち、群衆、リュー、ティムール)
4.「砥石よ回れ!」(男たち)
5. 「なぜ、月の出が遅いのか?」(群衆)
6. 「向こうの東の山々で」(子どもたち)
7.「少年よ!恩赦を!」(群衆、カラフ)
8. 「姫よ、恩赦を!」(群衆、カラフ)
9. 「息子よ!何をしているのじゃ?」(ティムール、カラフ、リュー、群衆)
10. 「動くな!何をする?」(ピン、ポン、パン、カラフ)
11. 「ちょっと、静かに!」(侍女たち、ピン、パン、ポン、カラフ、ティムール)
12. 「ともしびのない夜も」(パン、ポン、ピン、亡霊、カラフ、ティムール)
13. 「御主人様お聞きください!」〔お聞きください、王子さま〕(リュー)
14.「泣いてくれるな、リュー!」〔泣くな、リュー〕(カラフ、リュー)
15. 「ああ!最後のお願いだ」(ティムール、リュー、ピン、ポン、パン、カラフ、群衆)
− 第2幕 −
16.第1場 「おい、パン!」(ピン、ポン、パン)
17.「おお中国よ、おお中国よ」(ピン、ポン、パン)
18.「わしは河南に家を持っている」(ピン、ポン、パン)
19. 「おお、世の中よ・・・恋に狂った者どもで満ち満ちた世の中よ」(ピン、ポン、パン、群衆)
20.「さらば愛よ、さらば部族よ!」(ピン、ポン、パン)
21. 「中国には、幸いにも愛を拒むような女はもういない!」(ピン、ポン、パン)
22. 「ラッパの音を聞いてみろ!なにが平和だ!」(ピン、ポン、パン)
第2場
23. 「謹厳で、巨漢で、堂々とした博士たちが」(群衆)
24.「残酷な誓いがわしによこしまな掟を守ることを」(皇帝、カラフ)
25.「われらが皇帝万歳!」(群衆)
26. 「北京の民よ!」(役人、子供たち)
DISC 2
− 第2幕 −
第2場
1.「この御殿の中で」〔この宮殿の中で〕(トゥーランドット、群衆)
2.「世界のすみずみから」(トゥーランドット、カラフ、群衆)
3. 第1の謎:「異国の人々よ、聞くがよい」(トゥーランドット)
4.第1の謎の答え:「そうだ!よみがえる」(カラフ、博士たち、トゥーランドット)
5.第2の謎:「炎のようにはね上がるが」(トゥーランドット、皇帝、群衆、リュー)
6. 第2の謎の答え:「そうだ、姫よ!」(カラフ、博士たち、群集)
7. 第3の謎:「お前に火を与える氷で」(トゥーランドット) ]
8.第3の謎の答え:「わたしの勝利があなたをわたしに今や与えたのだ!」(カラフ、博士たち、群衆)
9.「天子様!神聖なる父君よ!いやでございます!」(トゥーランドット、皇帝、群衆)
10.「いや、高慢な姫よ」(カラフ、群衆、皇帝)
11.「陛下の足下にひれ伏さん」(群衆)
− 第3幕 −
第1場
12. 「姫の仰せはこうだ」(役人たち、群衆)
13.「何人も眠ってはならぬか!」〔誰も寝てはならぬ〕(カラフ、女たち)
14.「星を眺めているお前よ・・・」(ピン、ポン、パン、カラフ、群衆)
15. 「異国の人よ、お前は知らぬのだ」(ピン、ポン、パン、群衆、大臣たち、カラフ、警吏たち)
16. 「尊い姫よ!」(ピン、トゥーランドット、カラフ、リュー、群衆)
17. 「御主人様、決して申しません!」(リュー、ピン、ティムール、カラフ、群衆、トゥーランドット)
18.「誰がお前の心にそのような力を与えたのだ?」(トゥーランドット、リュー)
19.「秘密を引き出せ!」(トゥーランドット、ピン、カラフ、群衆、リュー)
20.「氷に包まれたあなた様も」〔氷のような姫君も〕(リュー、群衆、カラフ)
21.「リュー!リューよ!立っておくれ!」(ティムール、ピン、群衆)
22.「リューよ・・・親切な娘よ!リューよ・・・優しい娘よ」(ティムール、ポン、ピン、パン、群衆)
23. 「死の姫よ!」(カラフ、トゥーランドット)
24. 「一体、わたしはどうしたのだ?」(トゥーランドット、カラフ、女たちの声、子供たち、男たち)
25.「あなたの栄光は再び輝いているのですよ」(カラフ、トゥーランドット)
26.「これ以上の勝利を望まないでください!」(トゥーランドット、カラフ)
27. 「お前の名前はわかった!」(トゥーランドット、カラフ)
第2場
28.「われらが皇帝陛下万歳!」(群衆)
29.「おお神聖なる父君陛下よ」(トゥーランドット、群衆)
[録音]1981年5月11日〜18日、ウィーン、ムジークフェラインザール
[初出]2741013(LP)419096-2(CD 1982年)
[日本盤初出]78MG0298〜300(LP 1982年11月1日)
F90G50217〜9(CD 1984年10月25日、なお同年6月1日には輸入盤として発売されている)
[オリジナル・アナログ・レコーディング]
[プロデューサー] ギュンター・ブレースト
[ディレクター] ミシェル・グロッツ
[レコーディング・エンジニア] ギュンター・ヘルマンス
[エディター] ラインヒルト・シュミット
[Super Audio CDプロデューサー]大間知基彰(エソテリック株式会社)
[Super Audio CDリマスタリング・エンジニア]東野真哉(JVCマスタリングセンター(代官山スタジオ))
[Super Audio CDオーサリング]藤田厚夫(有限会社エフ)
[解説]諸石幸生 ア保男
[企画・販売]エソテリック株式会社
[企画・協力]東京電化株式会社