■LP時代になって克明に記録されるようになったバイロイト音楽祭のライヴ
ワーグナー自身が1876年に開設したバイロイト音楽祭は、
その後の歴史を通じてワーグナー作品のオーセンティックかつ理想的な上演場所としての地位を確立し、
毎夏の音楽祭には世界中から熱狂的なワグネリアンが集うメッカとなりました。
その時代の最高の演奏家を集めての上演のようすをレコードと して記録する試みはすでに
20世紀初頭のアコースティック時代から音楽祭に出演した歌手のピアノ伴奏によるアリアの録音として試みられ、
電気録音の時代になると 1927年の《パルジファル》を皮切りに
かなり長めの抜粋録音さえ行われるようになりました。
しかしバイロイト音楽祭での上演が全曲録音という形で実現するのは第2次大戦後、
1951年に音楽祭が再開されてからのことで、ちょうど実用化されたばかりの LPというメディアによって長
時間収録・再生が家庭で可能となった技術革新も追い風となりました。
1950年代はデッカと EMIというイギリス資本のレコード会社が口火をつけ、
1960年代に入るとオランダのフィリップスがそれに加わり、
続々とバイロイトでのライヴ録音によるオペラの全曲盤が発売さ れるようになりました。
地元ドイツを代表するレコード会社であるドイツ・グラモフォンが
バイロイト音楽祭のライヴ録音を行ったのは 1966年、
カール・ベーム指揮の《トリスタンとイゾルデ》でのことでした。
■熟達したワーグナー指揮者としてのカール・ベーム
カール・ベーム(1894-1981)は 1917年のグラーツ市立歌劇場でのデビュー以来、
現場たたき上げの筋金入りのオペラ指揮者としてドイツ各地の歌劇場を渡り歩き、
1934年からはドレスデン国立歌劇場、 1943年からはウィーン国立歌劇場の音楽監督として、
特にモーツァルトと R.シュトラウスのオペラの名解釈者としてその名を馳せていました。
20世紀後半の演奏思潮の根幹を形作ることになる、
私情を排した客観的かつザハリッヒな音楽づくりをモットーとしたベームの芸風は
モーツァルト作品にうってつけでしたが、その明晰かつ明解な音楽性に、
第2次大戦後のバイロイト音楽祭で戦前のロマンティックなスタイルとは袂を分かった
新たなワーグナー上演を推進してきたヴィーラント・ワーグナー( 1917-1966) が惚れ込み、
ようやくベームが 68歳の1962年の《トリスタンとイゾルデ》の新演出で
バイロイト音楽祭へのデビューが実現したのでした。
■バイロイト音楽祭での空前の芸術的な成果
バイロイトでベームは、ヴィーラントの全幅の信頼のもと、 1962年の《トリスタン》を皮切りに、
1963年の ワーグナー生誕150周年における《ニュルンベルクのマイスタージンガー》、
1965年の《ニーベルング の指環》など、ヴィーラント晩年の最も重要な新演出を委ねられることになります。
実際、ベームがデビューしてからヴィーラント・ワーグナーが世を去るまでの数年間は、
バイロイト音楽祭の1世紀にわたる歴史の上でもその上演が芸術的に
最も高度の完成と密度を持ちえた時期だった、といっても差し支えないほどの評価を得たのでした。
この時期はベームにとっても心技体が最も充実し、
欧米でオペラとコンサート両面で展開していた旺盛な演奏活動と重なり、
その成果として、専属契約を結んでいたドイツ・グラモフォンからも
ベルリン・フィルとのモーツァルト交響曲全集、モーツァルトやシュトラウスの
オペラ全曲盤の名演が続々と発売され、レコーディング・アーティストとしての名声が
一気に高まっていた時期でもありました
(当シリーズでもモーツァルトの交響曲集や《フィガロの結婚》を発売してまいりまし た)。
■ベームの個性が貫かれた「オランダ人」
1971年の《さまよえるオランダ人》は、そうした絶頂期のベームが
バイロイト音楽祭に最後に出演した年のライヴ録音で、モーツァルト演奏の理想とされた圧倒的な明晰さ、
茫漠さとは無縁の引き締まったソリッドなサウンド、全曲に漲る恐ろしいほどの緊張度の高さ、
感情を解放するのではなく一瞬一瞬の響きの中に製錬し凝縮していく手法など、
いわば 19世紀末以来 20世紀前半に引き継がれてきたロマンティックで鷹揚なワーグナー上演に背を向けた
ベーム独自の様式があらゆる面で理想的な形で結実した稀有な記録といえましょう。
既にカラヤンの 《指環》上演と録音でヴォータンやグンターを担い
ワーグナー歌手としての名声を確立していたトマス・スチュアート(1928-2006)、
ヨーゼ フ・グラインドルの跡を継いでワーグナーのバスの諸役を
一手に引き受けていたカール・リッダーブッシュ(1932-1997)、
ドラマティックな役柄に比重を移し始めていたギネス・ジョーンズ(1936年 生まれ)など、
歌手陣も1960年代から世界的な活動を始めバイロイトの常連でもあった、
当時の理想 的な布陣であり、ワーグナーの音楽語法を知り尽くしたバイロイトのオーケストラ、
名匠ヴィルヘルム・ ピッツ(1897-1973)に鍛え抜かれた
圧倒的なコーラスもぞれぞれがもう一つの主役ともいえるほどの存在感を打ち出しています。
■バイロイト祝祭劇場独特の音響効果を捉えたドイツ・グラモフォン
バイロイト祝祭劇場は、観客を舞台に集中させることを目的として
オーケストラ・ピットを蓋で覆い舞台の下にすり鉢状に奏者のスペースを展開させ、
さらに舞台上の歌手や合唱とピット内のオーケストラのサウンドをブレンドさせる独特の音響効果で知られ、
通常のオペラ劇場での録音以上の困難さを突き付けてくる録音場所でもあります。
蓋のあるピット内に設置した近接マイクで収録するしかないオーケス トラ
(しかも第 1ヴァイオリンが通常とは逆のステレオ・パースペクティヴの中で右に配置)と、
舞台上の 歌手と合唱団をどのようなバランスでミキシングし、
響きや残響感の差異を調整し違和感をなくすことが出来るか、歌声の明晰さをどこまで捉えられるか、
木製のステージ上での歌手や合唱団が動き回る音の臨場感を失わずに、
しかも音楽の邪魔にならないように収録できるか、などさまざまな課題を克服していく必要があります。
ドイツ・グラモフォンは 1971年の《オランダ人》の時点で、 1966年の《トリスタン》、
そして(おそらくカラヤン盤との同一レーベル内での競合を避けて
1973年になってフィリップス・レーベ ルから発売されたため、
プロデューサー /エンジニアのクレジットが記載されていない)
1966〜67年の 《指環》、さらに前年の1970年の《パルジファル》で収録経験を重ねており、
《オランダ人》は前年の《パルジファル》同様に、クラウス・シャイベがエンジニアリングを担当することで、
こうした課題に対しての理想的な回答を出しています。
ベームの作り出す硬質なサウンドの特徴や、
オーケストラの各パートや歌唱の明晰さをとらえながらも全体のサウンドの一体感や
スケールの大きさを失わない音場感が自然に再現されています。
ステージ上の動きも 1960年代初頭のフィリップス録音ほどには左右の広がりを強調せず、
第 3幕のオフステージから聴こえてくるオランダ人の船の合唱と
舞台上の合唱との遠近感もごく自然に対比されています。
■最高の状態での
Super Audio CDハイブリッド化が実現
これだけの名盤にもかかわらず、この録音が CD化されたのは 1992年になってからのことで、
今回は それ以来初めての、ほぼ 30年ぶりのニュー・リマスタリングとなります。
今回の Super Audio CDハイブリッド化に当たっては、これまで同様、
使用するマスターテープの選定から、最終的な DSDマスタリングの行程に至るまで、
妥協を排した作業が行われています。
特に DSDマスタリングにあたっては、 DA コンバーターとルビジウムクロックジェネレーターとに、
入念に調整された ESOTERICの最高級機材を投入、また MEXCELケーブルを惜しげもなく使用することで、
オリジナル・マスターの持つ情報を余すところなくディスク化することができました。
「カール・ベームは、これまで半世紀以上にわたる指揮者としての生活を通して
殆ど常にドイツ・オーストリアのどこかのオペラ・ハウスと密接な関係を持ち、
したがってワーグナーの音楽劇は彼のレパート リーの重要な一部であり続けた。(・・・)
音楽とドラマとの結びつきがまだ後期の諸作ほど緊密ではなく、
いささか余計な水分の多い《オランダ人》においては、
ベームの厳しい凝集力がかつてない見事な成果を生み出している。
かれが《ローエングリン》以前のワーグナーの「ロマンティック・オペラ」を
バイロイ トで指揮したのはこれが初めてであるが、
私たちはここにベームのワーグナー演奏の中でも
最も完成度の高い名演を見出すことが出来るように思われる。」
(日本初出盤のライナーノーツ、 1973年)
「1971年のバイロイト音楽祭でのライヴ。冒頭からベームの作り出す音楽の
すさまじいまでの力と強さに目を見張る。音の一つ一つが徹底的に錬磨され、
すばらしい充実を与えられた末に生まれる、一部 の隙もない厳しさがある。
歌手の中では。リッダーブッシュのダーラントが最も素晴らしい。」
(『レコード芸術』推薦盤 1973年 1月号)
「ベームが 1971年度のバイロイト音楽祭で、初めてこのオペラを指揮した時のライヴ録音である。
かな り硬質な表現だが、その鋼鉄のようなしなやかで力強い表現には圧倒される。
最初から最後まで寸分 の隙もなく音楽をまとめ上げていく厳しさもベームならではといってよい。
リッダーブッシュのダーラントは、あたたかく奥行きの深い歌唱で、ステージを盛り上げていて立派。
コーラスの仕上がりは万全で、 それが大きな魅力となっている。」
(レコード芸術・別冊『クラシック・レコード・ブック 1000(5)オペラ・声楽曲編』、 1985年)
「ベームが最後にバイロイトの出演した時の記録。ここで彼は、ワーグナーのこの出世作にふさわしい、
硬質かつ直線的な音楽づくりによって、一幕仕立ての上演を息もつかせぬばかりの緊張感で貫いている。
厳しさにかけては天下一品のベームに鍛え抜かれた、当時のバイロイトのオーケストラの水準も驚くばかり。
まるでオーケストラ全体が唸りをあげるように高揚していくところなど、
他のオペラのオーケストラにはないものだ。
そこでは世界から腕利きのワグネリアンが集まったこのオーケストラの強みが最大限に発揮されている。
歌手たち鵜の水準も高く、名合唱指揮者ピッツの薫陶を受けた合唱が、
ここでは主役のひとりとして大きな役割を果たしている。」
(『クラシック不滅の名盤 800』、1997年)
■収録曲
リヒャルト・ワーグナー
歌劇《さまよえるオランダ人》 (全曲)
3幕のロマンティック・オペラ (この演奏では全曲を通して演奏する版が使われている )
台本:作曲者
[配役]
ダーラント(ノルウェーの船長)カール・リッダーブッシュ(バス)
ゼンタ(ダーラントの娘)ギネス・ジョーンズ(ソプラノ)
エリック(猟師)ヘルミン・エッサー(テノール)
マリー (ゼンタの乳母 )ジークリンデ・ワーグナー(メッゾ・ソプラノ)
舵取りハラルト・エク(テノール)
オランダ人トマス・スチュアート(バリトン)
バイロイト祝祭合唱団
合唱指揮:ヴィルヘルム・ピッツ、ヘルムート・フェルマー
バイロイト祝祭管弦楽団
指揮:カール・ベーム
演出:アウグスト・エヴァーディング
[トラックリスト]
DISC 1
1.序曲
第1幕
第1場
第1番導入部
2.「ホヨヘ ! ハロホ ! ハロヨ! ホ!」[水夫たち、ダーラント、舵手 ]
3.「間違いない、あらしは安全な港から」[ダーラント、舵手]
4.「遠い海から嵐とともに」 [舵手] 第2場
5.第 2番レチタティーヴォとアリア「期限は切れた〜憧れの心もて海の淵に」 (オランダ人のモノローグ )
[オランダ人、オランダ船の水夫たち ]
第3場
第3番シェーナ、二重唱と合唱
6.「おーい ! 舵手君!」[ダーラント、舵手、オランダ人 ]
7.「嵐と悪しき風に追われ」 [オランダ人、ダーラント ]
8.「南風だ ! 南風だ !」[舵手、水夫たち、ダーラント、オランダ人 ]
9.「遠い海から嵐とともに」 [水夫たち ]
第2幕
第1場
10.導入部 第4番リート、シェーナ、バラードと合唱
11.「ブーンブン、かわいい車よ」 (糸紡ぎの合唱 )[娘たち、マリー ]
12.「ヨホホエ ! 〜帆が血のように赤く帆柱の真っ黒な船に」 (ゼンタのバラード )[ゼンタ、娘たち、マリー ]
13.「ゼンタ ! ゼンタ ! 私を破滅させようとするのか ?」[エリック、娘たち、マリー、ゼンタ ]
第2場
第5番二重唱
14.「ゼンタ、待って ! ちょっとだけ話があるのだ !」[エリック、ゼンタ ]
15.「私の心は死ぬまであなたのもの」 [エリック、ゼンタ ]
DISC 2
1.「彼が私を見おろすまなざしの」[ゼンタ、エリック]
2.「私は高い岩の上に夢みつつ身を横たえ」[エリック、ゼンタ]
第3場
第 6番[フィナーレ ]
3.「娘よ、私が敷居のところに立っているのを見ながら…」 [ダーラント、ゼンタ ]
4.「娘よ、この見知らぬ方を歓迎しておくれ」 [ダーラント ]
5.「遠く忘れられた古い時代の中から話しかけるように」 [オランダ人、ゼンタ ]
6.「お父上の選択にご不満でしょうか ?」[オランダ人、ゼンタ ]
7.「ごめんなさいよ ! 外にいる人たちはもう待っていられないんで」 [ダーラント、ゼンタ、オランダ人 ]
第3幕
8.導入部(間奏曲)
第1場
第7番合唱とアンサンブル
9.「舵手よ、見張りをやめよ !」[ノルウェーの水夫たち、娘たち ]
10.「ヨホホエ ! ヨホホエ ! ホエ! ホエ!」[オランダ船の水夫たち、ノルウェーの水夫たち、舵手 ]
第2場
第8番フィナーレ
11.「私は何を聞かなければならぬのか」 [エリック、ゼンタ ]
12.「忘れてしまったのだろうか」(エリックのカヴァティーネ) [エリック ]
13.「ああ !もはや終わりだ !救済は永遠に失われた !」[オランダ人、エリック、ゼンタ ]
14.「あなたから私が遠ざけていた運命を知るがいい !」
[オランダ人、エリック、ゼンタ、ダーラント、マリー、合唱、オランダ船の水夫たち ]
[録音] 1971年、バイロイト祝祭劇場(バイロイト音楽祭でのライヴ・レコーディング)
[初出] 2740 140/2720 052(1972年)
[日本盤初出] MG9641〜3(1972年 12月)
[オリジナル・レコーディング]
[エクゼクティヴ・プロデューサー] Dr.ハンス・ヒルシュ、 Dr. エレン・ヒックマン
[レコーディング・プロデューサー]ヴォルフガング・ローゼ
[レコーディング・エンジニア]クラウス・シャイベ
[Super Audio CDプロデューサー]大間知基彰(エソテリック株式会社)
[Super Audio CDリマスタリング・エンジニア]東野真哉(JVCマスタリングセンター (代官山スタジオ ))
[オーサリング]藤田厚夫(有限会社エフ)
[解説]諸石幸生ア保男
[企画・販売]エソテリック株式会社
[企画・協力]東京電化株式会社