■苦労人マイスキー
ミッシャ・マイスキーは 1948年、旧ソ連のラトヴィア生まれのチェリスト。
キリストを思わせる風貌、ステージ衣装も通常の燕尾服ではなくイッセイ・ミヤケを愛用し、
極めてロマンティックで熱い音楽を聴き 手に届ける音楽家として、
70 歳を過ぎた現在も第一線で活躍しています。
1965 年の全ソ音楽コ ンクール 1位、 66 年のチャイコフスキー・コン クール 6 位となり、
ロストロポーヴィチに才能を認められながらも、
ユダヤ系ロシア人であったがゆえに反体制的人物とみなされ約 2年間の強制労働を余儀なくされました。
1972 年になってよう やく出国許可が下り、アメリカに渡ってピアティゴ ルスキーに師事し、
翌 73 年のカサド国際コン クールで 1 位となってようやく国際的な注目を集め、
74 年にはマールボロ音楽祭に参加、 76 年 にはロンドン・デビューを飾るなど、
世界的な演奏活動を開始したのです。
■マイスキーを国際的なスターダムに押し上げた「アルペジオーネ」
マイスキーのソロ・デビュー盤は
1981 年にアルゲリッチと EMI に録音したフランクと
ドビュッシーのチェロ・ソナタで、同時期にロンドン・シンフォニエッタとの共演で
ハイドンのチェロ協奏曲をリコルディに録音しています。
しかし真の意味でマイスキーの名を世界の音楽ファンに轟かせたのは、
1982 年ドイツ・ グラモフォン録音のバーンスタイン / ウィーン・フィル、クレーメルと共演した
ブラームスの二重協奏曲と、
この 84 年フィリップス録音の「アルペジオーネ・ソナタ」の 2枚でした。
前者はバーンスタインの濃密な音楽作りの中で
切れ味鋭いクレーメルの個性を受け止めるような包容力ある演奏が心を打ち、
後者は マイスキーの本領である深いロマンティシズムの世界を臆することなく表現し尽くし、
ロストロポーヴィチ以来長らく音楽界に欠けていた骨太のロマン派チェリストの登場を強く印象付けたのです。
そしてこの 84 年以降、バッハの無伴奏全曲を皮切りに、
ドイツ・グラモフォンと専属契約を結んだマイスキーは、 続々と新しいアルバムを発表、
チェロの主要レパートリーのみならず、
世界的なベストセラーとなった 「ララバイ」「アダージョ」「チェリッシモ」など
コンセプト・アルバムも手掛け、その人気は今も衰えを知りません。
■アルゲリッチと極めたロマン派の神髄
「アルペジオーネ・ソナタ」では、第 1 楽章冒頭の主題から遅めのテンポでたっぷりとチェロ を歌わせ、
シューベルトの歌心の深さを体感させてくれます。
自らの感情をたっぷり盛り込み、主情的に連綿と歌い続けるその演奏スタイルは、
同世代のヨーヨー・マらの爽快かつ健康的なチェロとは対照的で、
「あたかも 19 世紀のチェリストが現代風に洗練された感覚を身につけて
私たちの前に蘇ってきたかのような」とさえ評されたほどです。
しかしその溢れんばかりのロマンティシズムを空虚なものとしないのがマイスキーの高い音楽性で、
人生の「切なさ」を身をもって体験してきた彼ならではの人間性が滲み出ているのです。
さらにピアノのアルゲリッチが そうしたマイスキーの音楽性に全面的な共感を寄せ、ぴっ たりと寄り添い、
あるいは自らリードしていくかのような共演ぶりも見事で、
「幻想小曲集」のフィナーレ での情熱の迸りや、
「民謡風の小品」における各曲のキャラクタリゼーションの鮮やかな描き分けなど、
この二人が作品に盛り込まれたロマンティックな感情の移ろいを
これ以上ないほどに実在の音としていくさまが生々しく記録されています 。
このアルバムの録音はスイス北西部、
ジュラ山脈の麓のフランス国境近くに位置する小さな町ラ・ショ ー=ド=フォンにある
サル・ド・ムジーク(音楽ホール)で行われました。
ここは 1955 年に開館した約 1, 200 席を擁する室内楽向けのホールで、
1962 年にはアメリカの建築士レオ・ルロイ・バラネクが
「ホー ルのどこに座っていても、ステージ上で針が落ちる音さえ聴こえる」と評し、
世界で最も優れたホール の一つにあげているほどです。
1960 年代から主にフィリップスが録音用に使い始め、
イ・ムジチ、イタリ ア弦楽四重奏団、
グリュミオー、シェリング、ヘブラー、ホリガー、アラウらの名盤・名録音を通じて、
レコード・ファンには「名録音の代名詞」としてお馴染みの会場です。
プロデュースを手掛けたのはフィ リップスのフォルカー・シュトラウス( 1936 - 2002 )。
録音会場の床を一度踏みしめるだけでその会場が録音に適するかどうかを見極められる耳の持ち主で、
同レーベルでハイティンク、マリナー、コリン・デイヴィスなどの
600 枚近くのアルバムを制作した伝説のプロデューサーです。
チェロとその後ろに置か れたピアノを大きめの音像で明晰に収録しつつ、
静寂が保たれたホール内にしっとりとした情感を漂わせるサウンド作りは名手ならでは。
もともとが優秀な デジタル録音であったためこれまでリマスターさ れることはなく、
今回が初めての DSD リマスタリングとなります。
今回の Super Audio CD ハイブリッド化 に当たっては、これまで同様、
使用するマスターテープの選定から、最終的な DSD マスタリングの行程に至るまで、
妥協を排した作業が行われています。
特に DSD マスタリングにあたっては、
DA コンバー ターとルビジウムクロックジェネレーターに、
入念に調整された ESOTERICの最高級機材を投入、
また MEXCEL ケーブルを惜しげもなく使用することで、
オリジナル・マスターの持つ情報を余すところなく ディスク化することができました 。
「強烈な個性を持つ 2 人の演奏家の組み合わせによって、楽しめる要素を多く含んだ演奏。
マイスキーは進境著しく、実にロマンティックな歌いぶりを見せている。
「アルペジオーネ」ではどちらかといえ ばアルゲリッチがリードしている感のあることは否めないが、
激しい自己主張を示す一方で、優しく包 み込むような暖かさものぞかせている。
シューマンの魅力的な小品 2曲は、ロマンティシズムが全面に 出されながらも、
やはり個性的で興味深い演奏である。」
(『クラシック・レコード・ブック VOL.5 室内楽曲編』、 1980 年)
「ソ連出身のマイスキーは、チャイコフスキー・コンクールで入賞し、ロストロポーヴィチに師事した。
そのテクニックは素晴らしく、しかも細かい心づかいが行き渡っている。
「アルペジオーネ」では全体を リードしているのはアルゲリッチで、
開始部などまことに大胆。シューマンではふたりのロマン的情熱が 一致している。」
(『クラシック CD カタログ 89 』、 1989 年)
「当意即妙のアンサンブルを聴かせる 。
マイスキーは、この柔軟な感性と溢れるような歌心で、
かなり大 きなテンポの伸縮や大胆なディナーミクの変化を付けているが、
それを決して恣意と感じさせないのは さすがだ。
この演奏の訴求力が強いのは、彼のシューベルトに対する思いの深さが、
この作品の深み のある抒情を見事に掬い上げているからである。
しかもその淀むことのない見事なテクニックがそれをしっかりと支えている。
アルゲリッチはこの作品の性格上、いつもに比べれば控えで前面に立つことは ないが、
随所に即興性あふれる躍動や敏感な反応を見せ、味わい深い共演を果たしている。」
(『クラシック不滅の名盤 800 』、 1997 年)
「強烈な個性を持つ 2 人の演奏家は、
相変わらず他の追随を許さない素晴らしいアンサンブルでファンを楽しませてくれる。
どちらかといえばアルゲリッチがリードしている感は否めないが、
自己を主張する一方で、マイスキーを引き立てるような暖かい仕草も見せており、
シューマンの 2 作にも優しいロマン ティシズムが強く押し出されている。」
(『クラシック不滅の名盤 1000 』、 2007 年)
「マイスキーが西側で活躍し始めて間もないころにアルゲリッチ と録音したこのアルバムは、
彼の西側 でのチェリストとしての存在感を一気に高めた。
アルゲリッチの高揚感に満ちた刺激的で鮮烈な音楽が、
シューベルトの音楽にかつてない新鮮さをもたらしているが、
マイスキーはその音楽に的確に対峙 しながらも、
自らの少し翳りを帯びた情感を一杯に湛えた音楽を遺憾なく発揮して、
独自のロマン的世 界を生み出している。
シューマンの方は、アルゲリッチが得意とする作曲家だけにより濃密な音楽が奏でられているが、
マイスキーもここでは互角に対峙して非常に緊張感と切れ込みの鋭い音楽を奏で、
スリリングな味わいにあ ふれる演奏を実現している。」
(『最新版クラシック不滅の名盤 1000 』、 2018 年)
■■収録曲
フランツ・シューベルト (1797 - 1828)
アルペジオーネ・ソナタ イ短調 D.821
[ 1 ] 第 1 楽章 アレグロ・モデラート
[ 2 ] 第 2 楽章 アダージョ
[ 3 ] 第 3 楽章 アレグレット
ロベルト・シューマン( 1810 - 1856 )
幻想小曲集 作品 73
[ 4 ] 第 1 曲 やさしく、表現をもって
[ 5 ] 第 2 曲 生き生きと、軽く
[ 6 ] 第 3 曲 急いで、炎のように
民謡風の 5 つの小品 作品 102
[ 7 ] 第 1 曲 ユーモアをもって
[ 8 ] 第 2 曲 ゆっくりと
[ 9 ] 第 3 曲 早くなく、たっぷりとした音で演奏して
[ 10 ] 第 4 曲 急がずに
[ 11 ] 第 5 曲 力強く、はっきりと
ミッシャ・マイスキー(チェロ)
マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)
[録音] 1984 年 1 月 7 日〜 10 日、
スイス、ラ・ショー・ド・フォン、サル・ド・ムジーク
[初出] 4122301(1985 年 )
[日本盤初出] 25PC5160 、 32CD210(1985 年 7 月 1 日 )
[オリジナル・レコーディング]
[レコーディング・プロデュ ーサー]フォルカー・シュトラウス
[レコーディング・エンジニア]セース・ヘイコープ
[ Super Audio CD プロデューサー] 大間知基彰(エソテリック株式会社)
[ Super Audio CD リマスタリング・エンジニア] 杉本一家
( JVC マスタリングセンター ( 代官山スタジオ ) )
[ Super Audio CD オーサリング] 藤田厚夫(有限会社エフ)
[解説] 諸石幸生 小林利之
[企画・販売] エソテリック 株式会社
[ 企画・協力 ] 東京電化株式会社