■ピリスがモーツァルトと並んで得意としたシューベルト
小柄で手も小さいピリスが何よりも得意としたのはモーツァルトのピアノ・ソナタと協奏曲でしたが、
それらと並んでピリスが愛奏したのがシューベルトのピアノ曲でした。
ピリスは 1970 年代後半から 80 年代前半にかけて病を得て演奏・録音活動の中断を余儀なくされましたが、
演奏活動再開後手掛けたエ ラート時代の一連の録音の中に、
モーツァルトなどと並んで含まれていたのがシューベルトで、
1985 年 〜 87 年にかけてソナタ第 18 番・第 21 番や 4 手のための作品集などを録音し、
さらに 1989 年のドイツ・ グラモフォン移籍後、モーツァルトに続いて取り組んだのも
シューベルト(ピアノ・ソナタ第
14
番、楽興の時)でした
。
■文学に触発された名演
今回 Super Audio CD ハイブリッド化される「即興曲集」は、
1997 年、シューベルト生誕 200 年を記念して、 ピリスがヨーロッパ各地で演奏し、
新鮮な解釈として 高く評価されたもの。
もともとフランスの著名な作家イ ヴ・シモンの小説の世界にシューベルトを見出したピリスが、
その小説の題名である「すばらしい旅人」というタイトルでまとめた 2 枚組のアルバムに、
「アレグレット ハ短調」、「 3 つのピアノ曲」とともに収録されていたものです。
またこのアルバムは「自分は旅人である」という言葉を残した名ピアニスト、リヒテルの思い出にも捧げられ、
ピリスによるシューベルト=旅人、という一 つの世界に織り上げられたものでした。
2002 年には即興曲集のみが 1 枚にまとめられ、
それ以来これらの作品における定番としてカタログから消えたことがあり ません 。
■自然体で描き出されるシューベルトの抒情
粒ぞろいの美音と、過度にならない自然なニュアンス付け、
豊かでふくよかな充実した響きによるピリスのシューベルトは、
歌謡性のみに傾くのでもなければ、哲学的思索性に頭を埋めるものでもなく、
作品に込められた抒情の美しさを極めて自然体で表現したものといえるでしょう。
過度に感情的な身振り を持ち込まず、むしろストイックなまでに緻密なコントロールを聴かせつつも、
決して堅苦しくない雰囲 気を持つ演奏は、
音楽や作曲家に対して常に真摯な姿勢で臨んできたピリスの人柄を反映しているかのようです。
2018 年末 をもって公開の演奏活動からは身を引き、
後進の指導に専念しているピリスですが、この「即興曲集」は、
彼女にとってドイツ・グラモフォンへの最後の録音となった
同じシューベルトのピアノ・ソナタ第 21 番と並んで、
誇張のない表現の中から滲み出す味わい深さを身上とした
この名ピアニストのかけがえのない貴重な遺産ともいうべき名演です 。
録音はオランダのハールレムにあるコンセルトヘボウ
(現フィルハーモニー・ハールレム)と
リスボンのパラシオ・デ・ケルス(ケルス国立宮殿)という異なる会場で収録されました。
前者は 19 世紀末に建立され、収容人員は 1, 200 名を超すホールであり、
後者は 18 世紀に建てられ「ポルトガルのヴェルサイユ」 と称される宮殿内で収録されています。
1980 年代以降のドイツ・グラモフォンのメイン・エンジニア/プ ロデューサーの一人、
ヘルムート・バークによる音作りは、録音会場の差異を感じさせず、
ピリスをごく 親密な空間で聴いているかのようなイメージを与えてくれるもので、
作品と演奏の本質に相応しい見事なエンジアリングです。
もともとが優秀なデジタル録音であり発売以来特にリマスターが施されたことはなかったため、
今回は初めての DSD リマスタリングとなります。
今回の Super Audio CD ハイブリッド化 に当たっては、
これまで同様、使用するマスターテープの選定から、
最終的な DSD マスタリングの行程に至るまで、妥協を排した作業が行われています。
特に DSD マスタリングにあたっては、
DA コンバーターとルビジウムクロックジェネレーターに、
入念に調整された ESOTERIC の最高級機材を投入、
また MEXCEL ケーブルを惜しげもなく使用することで、
オリジナル・マスターの持つ情報を余すと ころなくディスク化することができました 。
「実に見事に整った即興曲集だ。音楽が厳しい美しさに貫かれ、
演奏がそれを十全に出しているのだから、それ以上の衣裳は邪魔というもの。
シューベルトって 30 代で死んでいるのに、そうしてこんな絶望にとらえられてしまったのだろう。
ピリスの演奏の良さは、その絶望感や悲しさを、深く追い詰めようと はしないところにある。
なるほど詩を書けばこういう効用があるのか。
ぎりぎりのところで鮮やかな足取りが維持され、深遠のこちら側に美がとどまる。」
( 『 ONTOM O MOOK クラシック名盤大全 器楽曲編』、 1998 年)
「ピリスはシューベルトの音楽世界を感覚的に捉えてよしとするのではなく、
それを完全に自身の血肉と化した演奏を心掛けているようだ。
この《即興曲集》は、シューベルトに内在している”歌“を、ピリスが慎み深く歌い上げた演奏の典型である。
スリムな外見を支えているピリスのヒューマンな感情。
それが 聴き手の心を満たしてくれる。小粒ながらピリリとした演奏がピリスの身上。
その持ち味がたっぷり楽し める。」
(『クラシック不滅の名盤 1000 』、 2007 年)
■収録曲
フランツ・シューベルト
4 つの即興曲 D . 899 (作品 90 )
[1] 第 1 番 ハ短調 アレグロ・モルト・モデラート
[2] 第 2 番 変ホ長調 アレグロ
[3] 第 3 番 変ト長調 アンダンテ
[4] 第 4 番 変イ長調 アレグレット
4 つの即興曲 D . 935 (作品 142 )
[5] 第 1 番 へ 短調 アレグロ・モデラート
[6] 第 2 番 変イ長調 アレグレット
[7] 第 3 番 変ロ長調 主題(アンダンテ)―変奏 I 〜 V
[8] 第 4 番 へ 短調 アレグロ・スケルツァンド
[録音] 1996 年 7 月、オランダ、ハールレム、 コンセルトヘボウ( D.899 )、
1997 年 9 月、ポルトガル、リスボン、パラシオ・ デ・ケルス( D.935 )
[初出] 457 550 - 2 ( 1989 年)
[日本盤初出] POCG10068 〜 9
(1997 年 12月 21日、アレグレット ハ短調 D.915 、
3つのピアノ小品 D.946 とのカップリングによる 2枚組 )
[エクゼクティヴ・プロデューサー]クリストファー・オールダー
[レコーディング・プロデューサー]ヘルムート・バーク
[バランス・エンジニア]ハンス=ウルリヒ・バスティン( D.899 )、ヘルムート・バ ーク( D.935 )
[レコーディング・エンジニア]ユルゲン・ブルグリン( D.899 )、ヴォルフ = ディーター・カルヴァトキー( D.935 )
[ Super Audio CD プロデューサー] 大間知基彰(エソテリック株式会社)
[ Super Audio CD リマスタリング・エンジニア] 杉本一家
( JVC マスタリングセンター ( 代官山スタジオ ) )
[ Super Audio CD オーサリング] 藤田厚夫(有限会社エフ)
[解説] 諸石幸生 寺西基之
[企画・販売] エソテリック 株式会社
[ 企画・協力 ] 東京電 化株式会社