■残されただけでも貴重なカルロスのセッション録音
亡くなってから 15 年が経とうとする今日でも、
その人気に衰えの兆しが見られない指揮者カルロス・ク ライバー( 1930 - 2004 )。
優美で華麗な指揮姿、極端に少ない演奏会やレパートリー、キャンセルの多さ、
そして何よりも オペラ・コンサートを問わず、演奏そのものの圧倒的な魅力によって、
数多くの聴衆を魅 了したカリスマであり、録音嫌いであることでも知られていました。
クライバーのセッション録音は、 1973 年の「魔弾の射手」に始まり、
1982 年の「トリスタン」にいたるドイツ・グラモフォンへの録音 8 点と
EMI (現ワーナー・ミュージック)録音 1 点のみ。
どれもが細部まで緻密に考え抜かれたカルロスならではの 解釈で、
今聴いてもその極めて個性的な輝きは私たちの心をとらえてやみません。
当アルバムは、 1970 年代にウィーン・フィルと録音した
ベートー ヴェンの交響曲第 5 番と第 7 番の 2 曲をカップリングし たもの。
もともと単独の LP として 1975 年と 1976 年に発売されていましたが、
CD 時代に入り、 1995 年 の「 DG オリジナルス」シリーズでのリマスター発売から
このカップリングで定着した定番の最新
DSD
リマスターです。
■数少ないコンサート・レパートリー
カルロスはもともとオペラ指揮者としてその指揮活動を開始したということもあって、
シンフォニーや オーケストラ曲を取り上げるようになったのは比較的遅く、
しかも生来自己批判が厳しいという性格も あって、
生涯に指揮したシ ンフォニーやオーケストラ曲のレパートリーは非常に限られていました。
ベートーヴェンの交響曲では第 4 番、第 5 番、第 6 番、第 7 番の 4 曲だけで、
セッション録音が残され たのは当アルバムに収録された第 5 番と第 7 番のみです。
■鋼のように強靭な響きの第
5
番
1974 年 3 月から 4 月にかけて録音された交響曲第 5 番は、
前年録音のウェーバー「魔弾の射手」で センセーショナルなレコード・デビューを果たした
カルロスにとって初のシンフォニーの録音となったも ので、
ウィーン・フィルともこのセッションが初共演
(本番を経てからセッションに持ち 込むという道筋で はなく、いきなりセッションでの顔合わせ。
もっとも前年 10 月にウィーン国立歌劇場で「トリスタン」新校 訂上演を 5 回振っており、
ウィーン・フィルの母体である国立歌劇場管とは共演済み)。
ウィーン・フィル とはこの録音の後、 1974 年 10 月(ブラティスラヴァとイェーテボリへのツアー)、
そして 1981 年 4 月(メ キシコ・ツアー)における演奏会でもこの交響曲を演奏しています。
有望な若手指揮者とウィーン・フィ ルを組み合わせて有名交響曲を録音するという手法は
他にも多くの例がありますが、このカルロスの ベートーヴェン 第 5 番ほど
大きなセンセーションを巻き起こし、発売後 40 年以上経ってもいまだに名盤 として
聴き継がれている録音は多くはありません。
全曲に漲る若武者のような圧倒的な勢いと細部への 緻密な目配りとが
極めて高度な次元で両立した稀有の名演といえるでしょう。
第 1 楽章の運命動機の 提示からして重厚でありかつしなやかさを兼ね備え、
展開部における動機の鮮やかな捌き方も有無を 言わさぬ説得力があります。
フレージングに工夫が凝らされた第 2 楽章の美しい歌、
音を割ったウィン ナ・ホルンの吹奏が剛毅な味わいを出す第 3 楽章主部と軽快なトリオとの対比、
そして遅めのテンポで 堂々と進軍する第 4 楽章まで息もつかせぬ音楽が展開され、
ウィーン・フィルもいつもの優美さよりも鋼 のように強靭な響きでカルロスの棒に応えています。
第 5 番の成功を受けて 1975 年から 76 年にかけて録音された交響曲第 7 番も、
第 5 番同様演奏会と は無関係のセッションで録音されたもので、
ウィーン・フィルとは上述の 1981 年 4 月のメキシコ・ツアー でも演奏し、
さらに 1982 年 2 月の定期演奏会(カルロスにとっては遅まきながらの定期デビ ュー)でも共演しています。
この交響曲は、 1983 年 10 月のコンセルトヘボウ管へのデビュー(ユニテルによる映 像収録が実施されソフト化)、
1986 年 5 月のバイエルン国立管との日本ツアー(最終日の人見記念講 堂公演をNHKが映像収録)にも
プログラミングされるなど、その限られたオーケストラ・レパートリーの 中でカルロスが愛奏し、
その代名詞のような作品となりました。カルロスにとって生涯最後の演奏会と なった 1999 年 2 月、
カルガリにおけるバイエルン放送交響楽団との演奏でも取り上げられています。
このウィーン・フィルとのセッシ ョン録音も、
「リズムの聖化」とも称されるこの作品とのカルロスの抜群の 相性の良さを示したもので、
重厚な響きが一貫した第 5 番とは異なり、オーケストラの各パートが透けて 見えるような
クリアかつ軽やかなサウンドで、モチーフやリズムが交錯し軋轢を生みながら前進していく
音楽の面白さをこれ以上ないほど明解に提示しています。
特にこの曲で重要な役割を担う第 2 ヴァイ オリンを右側に配し第 1 ヴァイオリンと対抗にすることで、
2 つのパートが拮抗する効果を鮮明にしてい る(特に第 4 楽章のコーダ直前)のは
この時代の演奏としては珍しい措置といえ るでしょう。もう一つ珍 しい点と言えば
第 2 楽章を結ぶ弦のパートのアルコをピツィカートに変えていることでしょう。
これはクレ ンペラーなど一部の指揮者が採用している修正ですが、
カルロスの父エーリヒも同様の修正を取り入 れており、
カルロスが父エーリヒから受け継いだ音楽的遺産の大きさを示す一例といえましょう 。
録音はムジークフェラインザールで行われて いますが、
プロデューサーはヴェルナー・マイ ヤー(第 5 番)、ハンス・ウェーバー(第 7 番)、
エンジニアはハン ス = ペーター・シュヴァイクマン (第 5 番)、
ヨープスト・エーデルハルト / ユルゲ ン・ブルグリン(第 7 番)と異なっており、
そのこと も重厚でマスの響きで聴かせる第 5 番、
大き目 の明解な音像で細部のクリアネスが耳に入る第 7 番という、
収録サウンドのイメージの差異につ ながっているのかもしれません。
定評ある名盤 だけに CD 時代初期に CD 化されて以来、
何度 も再発売が繰り返され、 1995 年には Original Image Bit Processing ( OIBP )方式による
24 ビット・リマスター、 2003 年には Super Audi o CD ハイブリッド、
そして 2018 年には「ハイレゾ CD 」でも発売されています。
今回の Super Audio CD ハイ ブリッド化に当たっては、
これまで同様、使用するマスターテープの選定から、最終的な DSD マスタリ ングの行程に至るまで、
妥協を排した作業が行われています。特に DSD マスタリングにあたっては、
DA コンバーターとルビジウムクロックジェネレーターに、入念に調整された
ESOTERIC の最高級機材 を投入、また MEXCEL ケーブルを惜しげもなく使用することで、
オリジナル・マスターの持つ情報を余すところなく ディスク化することができました。
◎交響曲第 5 番
「一度は聴く価値のある強い演奏である。
クライバーの指揮は、既成のさまざまな再現の仕方を切り抜けて
自己主張をしてみたいという意欲よりも何よりも、どうしてもこうしかゆきようがないという、
きわめて切実なものに貫かれている。周囲を顧みるより、自我にひたむきな、切羽詰まったものがある。」
(『レコード芸術』 1975 年 8 月号、推薦盤)
「肉体を熱くする音楽があるとするなら、
それはまさしくカルロス・クライバーの指揮棒が導き出したものといえよう。
音楽以外の何の力も借りることなく、音楽そのものを完全燃焼させるようなすごさが、ここ にはある。」
(レコード芸術・別冊『クラシック・レコード・コレクション不朽の名盤 1000 』、 1984 年)
「おびただしいこの曲の録音の中でも屈指の秀演である。
速めのテンポによる第 1 楽章から凄いほど の緊張感が漲っており、
オーケストラの響きも堅く引き締められている。
そこには聴き手を高揚させずにはおかない情熱の高まりと意志的な力があり、
全曲を通じて正統的な造形と豊かな 歌が聴き手を納 得させずにはおかない。」
(『レコード芸術・別冊 Classic CD Catalogue ‘ 89 』、 1989 年)
「カルロス・クライバーという指揮者はきわめて先鋭な現代感覚と
父親ゆずりの多少古めかしい演奏様式を無理なく同居させている。
第 1 楽章では早めのテンポをとり、贅肉をそぎ落としたような弦の響きと 共に、
内面的な情熱の強さを印象付けるのがユニークである。
伝統的な安定感の中に鮮烈な個性を 示した快演というべきであろう。」
(レコード芸術・別冊『クラシック・レコード・ブック VO L.1 交響曲編』、 1985 年)
「この曲の演奏の、 20 世紀の型を作り上げたともいうべき
フルトヴェングラーとトスカニーニの両極がここで結びついてしまったよう。
よく聴けば、テンポを大きく動かしたり、効果を高める工夫をしたりする恣意的なところはとても少ないのだが、
それでいて人間の肉体的感覚を離れた、機能としての音楽から はかけ離れている。
主題の提示からしてこの演奏は劇的なのだ。」
(レコード芸術選定『クラシック不滅の名盤 800 』、 1997 年)
「『寄らば斬るゾ』といわれているのに、それでもなお、
ノコノコと近づい てしまいたくなる演奏。
ここには 異様なほどの鋭利さ、緊迫感、推進力のようなものが満ちており、
つい直接触れてみたくなってしまうよ うな魅力を持っている。
こうしたスリリングな要素は、Cクライバーの独壇場だ。」
( ONTOMO MOOK 『クラシック名曲大全 交響曲編』、 1998 年)
◎交響曲第 7 番
「音楽は前へ前へと推進力を失わず、聴き手にホットな興奮を掻き立てる。
テンポは一貫して快速そ のもので、そのエキサイティングなことでは、
ほとんどワン・アンド・オンリーといってよいだろう。
ウィー ン・フィルもクライバーの要求にしなやかに反応して、
熱演ではあるが決して騒々しくならないのはさす が。
この曲の演奏史上に大きなマイルストーンを打ち立てた超名演だと思う。」
(レコード芸術・別冊『クラシック・レコード・ブック VOL.1 交響曲編』、 1985 年)
「恐るべき劇的感覚によって支配されていながら、
その劇的感覚が曲そのものからくる素直な表現で もある。
第 1 楽章が踊り出すときのめくるめく思いや、まるで一切の感傷を許さないとばかりに疾走する
アレグレットの息をのむ感覚も特別だけれど、やっぱり終楽章が誘う錯乱は 21 世紀にも死なないだろう。」
レコード芸術選定『クラシック不滅の名盤 800 』、 1997 年)
「作品全体の基礎になっているさまざまのリズムの性格を、これほどはっきり描き分け、
生命を与えた 演奏はない。ここでは強靭さとしなやかさが結びついている。
リズムもメロディも常に彼の精神や感情の 動きと密接に結びついて、強い説得力をもたらす。
テンポを細かく動かしても、そのために演奏の自然 な流れが損なわれることはない。」
( ONTOMO MOOK 『クラシック名曲大全 交響曲編』、 1998 年 )
「あらゆるこの曲の録音の中でも最高位におかれてより稀代の名演である。
全 4 楽章を一分の隙もな い造形でまとめ、作品の古典的な美を満足させているが、
クライバーはそこに力強い情熱を注入して、 激しい共感をもってリズムを生き生きと躍動させている。
以下も全曲のクライマックスを終楽章に設定し、 一貫してコーダまで高揚を続ける凄絶な演奏である。」
(『レコード芸術・別冊 Classic CD Catalogue ‘ 89 』、 1989 年)
■収録曲
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン
交響曲 第 5 番 ハ短調 作品 67 《運命》
[1] 第 1 楽章:アレグロ・コン・ブリオ
[2] 第 2 楽章:アンダンテ・コン・モート
[3] 第 3 楽章:アレグロ
[4] 第 4 楽章:アレグロ
交響曲 第 7 番 イ長調 作品 92
[5] 第 1 楽章:ポコ・ソステヌート〜ヴィヴァーチェ
[6] 第 2 楽章:アレグレット
[7] 第 3 楽章:プレスト〜アッサイ・メノ・プレスト
[8] 第 4 楽章:アレグロ・コン・ブリオ
[録音] 1974 年 3 月 (※29日 、 30日) & 4 月 (※4 日) (交響曲第 5 番)、
1975 年 11 月 26 日〜 29 日 、 1976 年 1 月 16 日 (第 7 番)、
ウィーン、ムジークフェライン大ホール
( ※はカルロス・クライバーのオンライン・ディスコグラフィによっています。
ジャケット表記は月だけです。 )
[初出] 交響曲第 5 番 2530 516 ( 1975 年) 、
交響曲第 7 番 2530 706 ( 1976 年) )
[日本盤初出] 交響曲第 5 番 MG2490 (1975 年 7 月 1 日 ) 、
交響曲第 7 番 MG1030 (1976 年 12 月 1 日 )
[オリジナル・レコーディング] [プロデューサー] ヴェルナー・マイヤー(第 5 番)
[エクゼクティヴ・プロデューサー]ハンス・ヒルシュ博士(第 7 番)
[レコーディング・プロデューサ ー]ハンス・ウェーバー
[バランス・エンジニア]ハンス = ペーター・シュヴァイクマン(第 5 番)、 クラウス・シャイベ (第 7 番)
[ Super Audio CD プロデューサー] 大間知基彰(エソテリック株式会社)
[ Super Audio CD リマスタリング・エンジニア] 杉本一家
( JVC マスタリングセンター ( 代官山スタジオ ) )
[ Super Audio CD オーサリング] 藤田厚夫(有限会社エフ)
[解説] 諸石幸生 平野昭
[企画・販売] エソテリック株式会社
[企画・協力] 東京電化株式会社