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第2次大戦後の弦楽四重奏団の新しい潮流
第 2 次大戦後、
欧米各地で新しい世代による
弦楽四重奏団が続々と誕生しました。
アメリカのラ・ サール( 1946 年結成)、
ジュリアード( 1949 年結成)、
イギリスのアマデウス( 1948 年結成)、
チェコのスメ タナ(大戦中の 1943 年結 成)などが
その代表的存在で、 20 世紀前半の伝統を受け継ぎつつ、
戦後の 新たな価値観を取り入れ、
弦楽四重奏の歴史に新風を吹き込むことになりました。
録音面でも新しく開発された
LP フォーマットを生かし、
作曲家別の全曲録音など旺盛な録音活動を行ない、
世界中に新たな室内楽ファンを生み出したのでした。
■名前の通り歌心あふれるイタリア四重奏団 。
そうした世界的潮流を
イタリアで担ったのがイタリア四重奏団です。
1945 年に作曲家マリピエロの提唱により
北イタリアのレッジョで結成され、
当初は「新イタリア弦楽四重奏団」と名乗っていましたが、
1951 年に「新」を取って「イタリア弦楽四重奏団」と改称。
以後、イタリアの音楽家らしい豊麗な歌心、
よ く響きあう厚みのある独自のサウンドで一世を風靡しました。
結成当初のメンバーは、レッジョ出身の
パオロ・ボルチアーニ(第 1 ヴァイオリン、その名を冠したコンクールは
3 年ごとに開催され若手弦楽四重 奏団の登竜門)、
ジェノヴァ出身のエリーザ・ペグレッフィ(第 2 ヴァイオリン)、
ヴェネツィア出身のリオ ネッロ・フォルツァンティ(ヴィオラ)と
フランコ・ロッシ(チェロ)で、
彼らは学生時代からの仲間同士でした。
1951 年に ヴィオラがピエロ・ファルッリに交代し、
この第 2 次メンバーでほぼ 30 年近く活動し、
一時代を築き上げていきます。
1979 年にヴィオラが
さらにディーノ・アッシオラに交代し、
翌 1980 年に解散 しています。
■名盤が残されたフィリップス録音。
結成直後の 1948 年から英デッカに録音を開始し、
英 コロンビア( EMI )を経て、
1965 年から蘭フィリップスに移り、
演奏レパートリーの中心に置いていたモーツァルトとベー トーヴェンの
全曲(それぞれ 1966 〜 73 年、 1967 〜 75 年に かけて録音)のほか、
シューマンとブラームス全曲、
ハイド ン、ボッケリーニ、シューベルト、
ドビュッシー&ラヴェル、
ドヴルザークの主要四重奏曲、
そして珍しいところでは
ウェーベルンの作品集までも録音しており、
いずれもアナ ログ時代を代表する
名盤として高く評価されていました。
解散する前年にはポリーニとブラームスの
ピアノ五重奏曲を独 DG に録音し、
これもまたポリーニ初の室内楽録音となったことで
大きな話題を捲きました
(結果としてこれが イタリア四重奏団としての
最後の録音ともなりました)。
■シューベルト弦楽四重奏曲録音の最高峰 。
シューベルトの弦楽四重奏曲は
デッカに第 8 番、 第 13 番、コロンビアに第 2 番、
そしてフィリップス に第 10 番、第 12 番断章( 2 回)、
第 13 番、第 14 番( 2 回)、第 15 番の録音を残しています。
今回ハイ ブリッドディスク化されるのは活動後期の
第 13 番「ロザムンデ」と
第 14 番「死と乙女」のカップリングで、
後者はヴィオラがアッシオラに交代した直後の再録音です。
熱のこもった輝かしいカンタービレ、洗練 された歌心、
決して重くならないリズム、
伸びやかで自発的なアンサンブルなど、
20 世紀後半から主流 になった合奏の
精度の高さを極めていく方法とは
別のところで弦楽四重奏という方法論 を突き詰めていった
イタリア四重奏団の特質が
はっきりと映し出されています。
両曲とも遅めのテンポで丁寧に細部 を描いており、
曲想が変化する際のちょっとしたためにも
音楽への繊細な思い入れが感じられます。
ヴィオラ交代前と交代後の音楽性の
微妙な変化を聴き比べるのも一興でしょう。
■最高の状態での
Super Audio CD
ハイブリッド化が実現
録音はスイスのラ・ショー・ド・フォンにある
サル・ド・ムジーク(音楽ホール)で行なわれました。
1955 年に開場し、
約 1200 席を擁するコンサートホールで、
その優れた音響効果のゆえに
ステレオ時代に なってレコード録音にも多用されてきました。
イタリア四重奏団のみならず、
アルテュール・グリュミオー、 イ・ムジチ、
ボザール・トリオ、クラウディオ・アラウなど
特にフィリップス・レーベルの
室内楽やソロの名録音の多くが
このホールで制作されたこともあり、
落ち着いた艶のある響きによる録音は
フィリップス・サウ ンドの一つの看板ともなりました。
このシューベルト 2 曲も CD 初期からの定番で、
20 ビット・リマスター、
あるいは第 13 番のみはペンタトーンによる
リミックス+リマスターされたハイブリッド盤もありますが、
今回 は新規で DSD リマスターが行なわれます。
これまでの 企画同様、
使用するマスターテープの選定から、
最終的な DSD マスタリングの行程に至るまで、
妥協を排した作業が行われています。
特に DSD マ スタリングにあたっては、
DA コンバ ーターとルビジウムクロックジェネレーターとに、
入念に調整された ESOTERIC の最高級機材を投入、
また MEXCEL ケーブルを惜しげもなく使用することで、
オリジナル・ マスターの持つ情報を
余すところなくディスク化することができました。
■「ステレオにきく《死と乙女》のベスト」
『《ロザムンデ》 は練りに練られた見事なアンサンブルが、
一種独特の柔らかい抑揚を持って、
シュー ベルトの抒情に満ちた旋律を歌っている。』
(『レコード芸術』 1978 年 1 月号、推薦盤)
『以前の演奏に比べ今回は大変に緊密なアンサンブルで、
しかもゆるぎのない安定感がある。
とくにアインザッツはシャープで気持ちがいい。
しかも誇張にならぬようきめ細かく歌わせている。
変奏曲の 第 2 楽章がいい例だ。
そしてこの歌が熱気を帯びていながら節度をわきまえている。
《死と乙女》でこれ ほどドラマを感じ焦る演奏は少ない。』
『例によって音色は明るいが表現意欲が みなぎり、
重量感に富 んだ《死と乙女》の演奏を聴いていると、
運命の重圧にあえぐ巨人の熱い吐息を浴びるような思いがする。
第 1 楽章第 2 主題冒頭の動機や、
第 2 楽章のコーダにみられるあこがれのムードとの対比のさせ方も、
まさにベテランの芸で心憎いうまさがある。
これはステレオにきく《死と乙女》のベストだろう。』
(『レコード芸術』 1981 年 4 月号、特選盤)
『彼らの身上は、やはりイタリアの風土を反映したともいえる
明るく透明なリリシズムであろう。その中 でも、
彼らは音楽をただ流してゆくのではなく、
しっかりした造形を見せた。
シ ューベルトはそうした彼らの
音楽性の一端を見せたにすぎない。』
(藤田由之、『レコード芸術別冊・クラシック・レコード・ブック VOL.4 室内楽曲編』、 1985 年)
『イタリア SQ は 1965 年にも録音していたが、
あらゆる意味でこの 79 年盤が勝っている。
ヴィオラが 交代した直後の録音で、
同時期にはポリーニと共演した
ブラームスのピアノ五重奏曲の名盤も生まれた。
彼らは現代のクヮルテットのようなメカニックを持ち合わせていないが、
ヨーロッパの伝統的な室内 楽の佇まいの中で
旧盤よりもその表現を一層深化させている。
冒頭テーマから素 晴らしい弓のスピー ドを感じさせるが、
これにより表情に強さと躍動感が生まれており、
持ち前の明るい音色はさらに磨かれ、
ソット・ヴォーチェがえもいわれぬ表情を浮かべる
作曲者のさまざまな心象風景が
柔らかく揺れ動く絶妙さは筆舌に尽くしがたい。』
(芳岡正樹、『レコード芸術選定 クラシック不滅の名盤 1000 』、 2007 年)
■収録曲
シューベルト
弦楽四重奏曲第 14 番ニ短調 D810 《死と乙女》
[ 1 ] 第 1 楽章 アレグロ
[ 2 ] 第 2 楽章 アンダンテ・コン・モート
[ 3 ] 第 3 楽章 スケルツォ(アレグロ・モルト)
[ 4 ] 第 4 楽章 プレスト
弦楽四重奏曲第 13 番イ短調 D804 《ロザムンデ》
[ 5 ] 第 1 楽章 アレグロ・マ・ノン・トロッポ
[ 6 ] 第 2 楽章 アンダンテ
[ 7 ] 第 3 楽章 メヌエット
[ 8 ] 第 4 楽章 アレグロ・モデラート
イタリア四重奏団
パオロ・ボルチアーニ(第 1 ヴァイオリン)
エリザ・ベグレッツィ(第 2 ヴァイオリン)
ピエロ・ファルッリ(ヴィオラ)[第 13 番]
ディーノ・アッシオラ(ヴィオラ)[第 14 番]
フランコ・ロッシ(チェロ)
[録音]
1976 年 11 月 16 日〜 27 日(第 13 番)、
1979 年 10 月 21 日〜 24 日(第 14 番)、
スイス、ラ・ショー・ド・フォン、 サル・ド・ムジーク
[アナログ・レコーディング] [ LP 初出]
第 13 番: 9500 078 ( 1977 年)
第 14 番: 9500 751 ( 1981 年)
[日本盤 LP 初出]
第 13 番: X7746
( 1977 年 11 月 25 日 / 弦楽四重奏曲第 10 番とのカップリング)、
第 14 番: 25PC157
(1981 年 2 月 28 日 / 弦楽四重奏曲第 12 番「四重奏断章」とのカップリング )
この 2 曲のカップリングは CD 時代になっ てからで、
32CD3076(1986 年 9 月 25 日 ) が初めてである。
[オリジナル・レコーディング] [プロデューサー]ヴィットリオ・ネグリ
[ Super Audio CD プロデューサー]大間知基彰(エソテリック株式会社)
[ Super Audio CD リマスタリング・エンジニア] 杉本 一家
( JVC マスタリングセンター ( 代官山スタジオ ) )
[ Super Audio CD オーサリング]藤田厚夫(有限会社エフ)
[解説] 諸石幸生 門馬直美
[企画・販売]エソテリック 株式会社
[ 企画・協力 ] 東京電化株式会社